枕草子 第百二段「二月つごもりころに」 |
解答と解説【発展的学習 問五】
【歌の贈答】
問五
藤原公任と清少納言の歌の贈答について
公任のよこした和歌の下の句「すこし春ある心地こそすれ」は、白氏文集(はくしもんじゅう)にある白居易(はく・きょい)の律詩「南秦ノ雪(なんしんのゆき)」にある第四句「二月山寒少有春(二月山寒うして少しく春あり)」を踏まえていることを、清少納言は直感したと思われる。公任は当代一の学者であり、有名な漢詩人であるから、詩句を踏まえて和歌を詠むことは珍しくない。しかし、清少納言がそれを見抜いたところにすばらしさがある。「白氏文集」を読むことは、当時の貴族の男性社会での一般教養ではあったが、女性は教養の範囲外であった。ところが、その一字一句まで理解していて、相手の語句をとっさに見抜くことができるは、やはり並大抵の学識ではない。 直感したうえで、彼女は、その「南秦ノ雪」の第三句「三時雲冷多飛雪(三時雲冷やかにして多く雪を飛ばす)」を和歌風に翻訳し、さらに下の句の「すこし春ある」を踏まえて「花」を添え、「空寒み花にまがへて散る雪に」と上の句を付けたのである。こうして、上下の句がそろってみごと完成したのである。 清少納言の機知と学識とがたちまちに評判となったのは当然であろう。 和歌を上(かみ)の句(五七五/長句)と下(しも)の句(七七/短句)に分解して、別々に詠む(唱和する)ことは上代からあったが、清少納言の時代(平安時代の中期)には遊びとしてかなり行われていたと思われる。 「枕草子」第七八段「頭中将の、すずろなるそらごとを聞きて」には、頭の中将藤原斉信(ただのぶ)が白氏文集十七「廬山ノ草堂・・」の詩の一節「蘭省花時錦帳下」を直接書いて、やはり主殿司を使いにして「末の句はいかに」と返事を求めてきたのに対して、その対句「廬山雨夜草庵中」をそのまま書かず、翻訳して、「草の庵をたれかたづねむ」と書き送った。逆に上の句を付けよという問題を出したことになる。これがまた評判となったとある。 平安末期になると、上下句を唱和する方法は、「連歌(れんが)」と呼ばれて盛んに行われた。勅撰集「金葉集」には「連歌の部」が設けられている。室町時代には長連歌(鎖連歌)も生まれ、文学として完成し、やがて近世の「俳諧」へと受け継がれていった。 |
解答と解説【発展的学習 問六】
【漢詩について】
問六 引用された「南秦の雪」について
藤原公任は、和歌の下の句を詠むに当たって、白居易の漢詩「南秦(なんしん)の雪」を意識していたことは明らかである。一方、清少納言もこの漢詩を踏まえていることを見抜き、上の句を付けたことも明らかである。
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「南秦雪」 白居易 |
往 歳 曾 為 西 邑 吏 往歳(わうさい)曾(かつ)て西邑(せいゆう)の吏(り)と為(な)り、 二 一 慣 従 駱 口 到 南 秦 駱口(らくこう)より南秦(なんしん)に到るに慣(な)る 下 二 一 中 上 三 時 雲 冷 多 飛 雪 三時(さんじ)雲冷やかにして多く雪を飛ばし、 レ 二 月 山 寒 少 有 春 二月山寒うして少しく春あり。 レ 我 思 旧 事 猶 惆 悵 我は旧事(きうじ)を思うて猶(なほ)惆悵(ちうちやう)す、 二 一 君 作 初 行 定 苦 辛 君は初行(しよかう)を作(な)して定めて苦辛(くしん)すらん。 二 一 仍 頼 愁 猿 寒 不 叫 仍(な)ほ頼(さひはひ)に愁猿寒うして叫ばず、 レ 若 聞 猿 叫 更 愁 人 若(も)し猿の叫ぶを聞かば更に人を愁(うれ)へしめん。 二 一 レ |
口語訳 先年私は西邑の役人となり、 駱口駅から南秦の方にしばしば出かけたことがある。 春夏秋の三つの季節にも雲が冷え冷えとたれ込め、ともすれば雪が降り、 二月になっても山は寒そうで、春の気配は少ない。 私は先年の事を思ってやはりまだうらみ悲しんでいるが、 君は初めてその地を旅して苦しくつらい思いをしていることであろう。 しかし、寒くても猿が憂いを含んで悲しそうに叫ばないのは幸いである。 もしあの猿が叫ぶのを聞いたら、さらに君を悲しませるであろう。 |
漢詩につて 「押韻」=秦・春・辛・人(偶数句の末)、第一句には押(ふ)んでいない。 漢字の音は声母(せいぼ)と韻母(いんぼ)とから成り立っている。この「韻母」をそろえることを「韻を押(ふ)む」(押韻)という。原則として、偶数句の末字に韻を押む。(七言の場合は一般に第一句にも押むが、押まない場合もある) 「押韻」は、中国で詩を吟ずる時、句末の韻の響き合う美しさを楽しむために生まれたものである。したがって、日本語で訓読すると、その美しさが表現できないのは残念である。 「対句」= 「第三句と第四句」(頷聯)と「第五句と第六句」(頸聯)とが対句を形成している。 第三句と第四句 二月 山寒 少有春 三時 雲冷 多飛雪 名詞(二ー三/月ー時)+[名詞+述語](山ー雲/寒ー冷)+[修飾語+被修飾語](少ー多/春ー雪) 第五句と第六句 我思 旧事 猶惆悵 君作 初行 定苦辛 [主語+述語]+[客語(目的語)]+[修飾語+述語] 「対句」は、対になる句の同じ位置にある語の文法上の働きが同じあること、また、意味上でも何らかの対応関係を持っていること、などが条件となる。 その対句によって、ひとつの思想や感情を印象的に表現することができるのである。 「句の名称」= 「絶句」は周知の通り「起句・承句・転句・結句」と呼ぶが、律詩は二句づつまとめて「首聯(しゅれん)・頷聯(がんれん)・頸聯(けいれん)・尾聯(びれん)」と呼び、絶句の「起・承・転・結」に対応している。 |