万 葉 の 悲 劇 その十一 軽(かる)の女 |
今回から三回にわたり、柿本人麻呂をめぐる女たちについて話しましょう。
まずは「軽の女」。 六九〇年冬、宮廷歌人であった人麻呂は、持統天皇の紀伊行幸に同行し、女帝付きのある女官と知り合い、南紀の浜辺を共に歩みました男は旅から帰るとすぐ、女に歌を贈ります。
み熊野の 浦の浜木綿(はまゆふ) 百重(ももえ)なす
心は思へど ただにあはぬかも (あの南紀の熊野の、海辺の浜木綿のように、幾重にも心には思うけれども、 直接には逢えないものですね。) 女が返します。
百重にも 来しかぬかもと 思へかも
君が使ひの 見れど飽かざらむ (何度でも 来てくれればよいと 思うからでしょうか、あなたの使いの者が 来るのを、いくら見ても飽きることがありませんよ。) しかし、二人の恋は許されないものだったようです。二人は人目を忍ばねばならず、めったに逢えませんでした。女は軽の里に住んでいました。「軽(かる)」は、藤原京の西を限る「下(しも)つ道」の、さらに南端につながる、幅40メートルの「軽(かる)道」の両側に広がった、市場も開かれる賑やかな里でした。
六九二年夏、持統帝は伊勢に行幸し、軽の女は同行しましたが、人麻呂はどうしたわけか都に残っていました。海浜で戯れる女を想い、歌を詠みます。 あみの浦に 船乗りすらむ おとめらが 玉裳(たまも)の裾に 潮満つらむか (伊勢のあみの浦で、船遊びをしているであろう、その乙女たちの玉のように 美しいスカートの裾に、潮が満ちていることだろうか。)
潮さゐに いらごの島辺 漕ぐ船に
妹(いも)乗るらむか 荒き島廻(しまみ)を (潮騒の中で、伊良湖の島べを漕ぐ船に、彼女も乗っていることであろう。荒い島の周りを。)
人目を忍びながらも、二人は軽の里で逢う瀬を楽しみ、幸福な日々が続くかに思えました。しかし、死が二人を永遠に引き裂いたのです。ある日、女の家から、彼女がみまかった、という使いが密かに来ました。
許された仲ではなかったので、彼女の家に駆けつけることはできません。死に顔さえみることができないのです。彼は女の面影を抱いて、軽の市場をさまよいます。ふらふらと、あてどなくさまよいます。
生前、女はこの賑やかな軽の市場によく来ました。人目を忍んで二人が逢うのもこの市場でした。女を見つけると男は袖を振って知らせるのが常でした。 しかし、今は賑わう市場にたたずみ、行きかう人を見ても、一人として似た女性はいません。目の前の畝火(うねび)の山の鳥の声もどうしたわけか今日は聞こえてきません。行き交う人の声も聞こえません。一人取り残された思いで、男は思わず女の名を呼びます。そして、あてもなく袖を振ってしまうのでした。
(巻四496〜499・巻二207〜209・巻九1796〜1799より) (一九九五年十月一日「桐一葉」第十九号より)
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