万 葉 の 悲 劇 その10 |
真間(まま)の手児奈(てごな) |
「これは何と読むのかしら」 「テジナ堂? マジックでもやるのかなあ」 「あッ、縁側の所におじいさんがいる、聞いてみようよ」 「これはテゴナ堂ってよむのじゃよ。手児奈(てごな)というのは、この真間(まま)の地にいた美しい娘の名じゃ。このあたりは、大昔は漁村じゃった。浦安も江戸川区もまだ海の底じゃった。北は柴又(しばまた)から矢切(やぎり)を渡って松戸(まつど)へ、南はこの真間の海岸まで、広い地域を葛飾(かづしか)と呼んでいたのじゃよ。」 「生まれはカツシカシバマタです、というやつだね」 「葛飾(かづしか)は豊かな地で、早稲(わせ)の産地じゃった。特にこの真間には海と田畑を祭る社(やしろ)があって、手児奈はその神に仕える巫女(みこ)じゃった。手児奈はそりゃあ美しかった。家が貧しく、いつも麻の粗末な着物を着て、髪をとくこともなかったが、そりゃあきれいじゃった。この坂の上の台地に下総(しもおさ)の国府(こくふ)があって、そこに都からよくお大臣の娘が来ていた。見たこともないような豪華な絹の織物を着て、おしろい塗って、気取って歩いてはいたが、それよりもなんぼか手児奈の方がきれいじゃった。その顔も心も満月のように輝いていた。
朝早く井戸の水を汲んで神様にお供えすることから、手児奈の一日は始まった。そこに木枠(きわく)のついた井戸があるじゃろう。禊(みそぎ)にも生活にもその井戸の水を使った。水汲みは女の仕事じゃった。
その花のような笑顔に、多くの男たちが言い寄ったものよ。男たちは、真間の港に船が集まるように、磯の波が轟(とどろ)き寄せて来るように、近郷近在からこの娘に会おうとやって来た。手児奈の住む社の前には継ぎ橋があったので、男たちの乗る馬のひずめの音が毎夜響いたものよ。」
「じゃ、人に知られないで通える音無しバイクがほしいな」 「茶化さないでよ、それで?」 「中でもある男は、手児奈への思いが募るあまり、妻があったが、とうとう離婚までした、しかも家を新築して、求婚を続けた。手児奈は誰の求婚にも応じなかったが、この男の激しい愛には、次第に靡きかけていたように見えた。早稲が稔り、神に供える新嘗(にいなめ)の祭の夜も、無理は承知で、男は女の籠もる社の外でむなしく待っていたものじゃ。」
「私だったら、いくら神聖な祭でも、いとしい人を外に待たせたりはしないわ・・・・」 「しかしな、手児奈はある寒い夜、港の波の中に身を沈めたのじゃ。」
「ウッソー」
「なぜ?」 「多くの男たちへの義理か、神に仕える巫女としての恐れからか。ともかく誠実な娘は、その小さな胸を痛めたにちがいない。村の者が亡骸(なきがら)を捜したが、遂にあがらなんだ」
「ところで妻と離婚してまで求婚していたあの男の人はどうなったの? ねぇおじいさん」 「あッ、消えた」
「やっぱりマジックだ」 (万葉集巻三431〜433 巻九1807・1808 巻一四3384〜3387参照)
( 一九九五年二月十五日「桐一葉」第十八号より)
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