その9    
    
 
       
脚色 有間皇子  
     
                 
 
闇の木立の中に波音が近付いてくる。突然、帳が開かれ水平線が現れた。南国とはいえ、冬早朝の冷気は肌を刺す。馬から砂浜に下ろされた皇子は、血の気を失った手を思わず強くこすった。朝日に右手の狼烟山が鮮やかに輝いている。左手には瀬戸崎が逆光に黒く映る。あの岬近くの紀の湯の広場での昨日の出来事が、忌まわしく思い起こされる。  
帝以下、居並ぶ家臣どもの前に引き出され、役人が謀叛の罪状を読み上げる。やがて、あの皇太子が思わせぶりに咳ばらいをし、やおら猫撫で声で尋ねた。「お前は、まだ十九歳なのに、なぜこんな大それたことを企てたのじゃ。」にたりと笑った。三十を越えたばかりながら、その目には老獪(ろうかい)な狡猾(こうかつ)さがある。父孝徳帝(こうとくてい)もこの男に裏切られ、四年前、難波(なにわ)の宮で孤独に死んだのだ。「天と赤兄(あかえ)だけが知っている。私はまったく知らない。」ただそれだけ答えてやった。天に皇太子を暗示していることは誰の心にもわかろう。皇太子の顔から笑みが消え、すぐに「連れ出せ」と大声がとんだ。                     
浜の周囲は、背後の段丘が海に落ちて波に洗われ、海蝕崖となっている。この地はその名も磐代(いわしろ)という。                
 磐代の 浜松が枝(え)を 引き結び まさきくあらば 
 また還(かへ)り見む   
磐代の浜の松の枝を、無事を祈って今こうして結んでおくが、もし命が 
あったら、また還って来て見よう。                 
 皇子は朗詠したが、黒潮寄せる磯波は時にその声を呑み込んだ。そしてまた手を縛られ、馬上の人となった。                
 
木峠を越え日高川を渡り、さらに山を越え有田川を渡る頃には、すでに日は南中していた。さすがに南紀の日差しは、冬とはいえ額に汗をにじませるほどであった。山道を北にとって、峠道でやっと止まった。馬から下ろされ、遅い食事が始まる。手首には、縄の食い込んだ傷が赤くむけていた。粗末な食事は悲しみを誘う。         
 家にあれば 笥(け)に盛る飯(いひ)を 草枕 旅にしあれば
 椎(いひ)の葉に盛る   
家にいる時には、いつも食器に盛って食べるご飯を、旅に出ているので、今は椎の葉に盛ることだ。
 
子はまた山の中を馬の背にゆられ、やがて急角度で海に向かって下っていった。前につんのめりそうになるのを、上体を起こしながら必死にこらえた。藤白(ふじしろ)の坂である。と、目前に海が開けた。西に傾いた日差を受けて美しく輝いている。手前が名高の浜、向こうが黒牛潟(くろうしがた)、その向こうが雑賀(さいか)の山。あの麓に今夜の宿となる和歌の浦がある。一年前、身の危険を感じて狂人を装い、この道を往復していたので、浜の美しさはよく知っている。しかし、罪人として都に護送される今の身には、この海浜はこの世の最も美しいものに思える。
の時である。背後の坂を下って来る騎馬の一団があった。皇太子の命(めい)を受けた丹比国襲(たじひのくにそ)たちであった。皇子達を護送する一行に追いつくや直ちに皇子を馬から下ろし、皇子の首に縄をかけた。辞世を詠む暇もなかった。結局は、蘇我赤兄(そがのあかえ)の、謀叛をそそのかす巧みな演技にだまされた自分が愚かだったのだ。背後には皇太子中大兄(なかのおおえ)のあの狡猾なまなざしがあったのだ。いまさらに、おのれの中の、血で血を洗う皇統の血が悔やまれる。遠くなる意識の中で、父の淋しい笑顔が見えてきた。
     
             (一九九四年二月二十六日「桐一葉」第十六号より)
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