夏目漱石「こころ」の学習
               
 
  
第一章  長編小説をどう学ぶか
   
 
第一節   小説学習指導の目標

(1) 近代小説とはなにか  近代小説とは、虚構によって、社会や人生の諸相を再現し、その真実を求めて書かれた散文体の文学形式である。                                  
 「虚構」は、自我に目覚めた近代人が、疎外された人間生活や日常的な現実を克服するための文学的方法として、構想したものである。したがって、その虚構は、現実に立ち向かい、真実を求める作者の批評精神の現れである。  
 また、表現手段として「散文」が用いられるのは、社会と個人との複雑に入り組む関係を、大きくは社会構造の動きから、小さくは個人の心理の微妙なひだにいたるまで、正確に描写していくのに、適合しているからである。
 
 小説学習においても、この近代小説の特質である「虚構」と「散文」に焦点を当てなければならない。
(2) 小説学習指導の目標
 
 1.「読むこと」「書くこと」の学習に共通する目標。(ここでは省略)
 
 2.近代小説の本質をとらえる。
 
 作者が作品の中で再現している、社会や人生の姿(虚構)を通して、作者が追求している真実(真と美)をとらえ、それが作品の表現(散文)とどのように関わっているかに注意し、作者が作品の中で実現している思想内容(主題)を的確にとらえる。さらに、人生や社会の問題について考えを深め、近代小説の本質をとらえる。
 
 3.近代小説を読解する能力を高める。
 
 1)作中人物の性格・心理・思想を読み取り、作品の主題・構成・表現をとらえる能力を高める。
 
 2)作家の内面性(考え方・想像力・傾向など)を読み取る能力を高める。
 
 3)自己の感動を論理化し、作品や作者について批評する能力を高める。 
              
第二節   小説学習指導の問題点
  
 指導者が、文学作品を挟んで学習者と向かい会う時、学習者にどうしても作品を理解させ得ないもどかしさを感じることがあり、また、どこまで教えるべきかに迷うことがある。指導上の主な問題点をあげてみる。
 
(1) 作品と読者との間の落差の問題
 時代・年齢・用語・思想などで、生徒の理解をはるかに超えることがある。
 例えば「こころ」においては、当時の人々の生活状態、明治・大正期の知識人の思想的変遷と苦悩、などは現在の高校生にとって容易には理解できない。これは学習者自身が、成長し、教養を身につけ、人生経験を経てはじめて克服できることで、授業の中でこの落差を埋めることは、かなり困難な作業となる。 しかし、作品の主題や構成面からみると、これらは一般的には皮層的な関わりである。辞書的意味では根本的落差は埋まらないにしても、主題や構成の理解に大きく支障をきたすほどの問題ではない。
 
(2) 学習者自身が、文学作品を読解する技術を、まだよく身につけていない問題 
 感想文を書かせると、作者の追求している真実や作品の主題を大きく取り違え、見当外れの批判をする生徒も多い。
 作中の人物や作者に対し、感情や判断や批判を示すことは、当然必要である。しかし、それは作中の人物や作者の内面性をとらえる読解の作業が、順調に行われたという前提に立たねばならない。誤解や曲解に基づく意見にならないように、授業において、読解能力を高めさせていかねばならない。この技能を身に付けさせることが、実は小説学習の大きな目標である。
 
(3) 作品に対する研究者の見解や評価が異なる場合の問題
 作品に対する研究者の見解や評価が、大きく異なる場合がある。時には正反対の見解もある。
 指導者が、すべての見解を羅列すると、生徒は大いに迷うことになり、混乱を招くだけになる。しかし、ただ一つの見解だけにこだわると、生徒の自由な読みを阻害することになる。
 学習者の読解能力に合わせて、対照的な複数の見解を提示しつつ、生徒の自発性を促すとよい。
(4) 作品中の事物や作品の周辺を、どの程度説明するかの問題
 作品には、直接表現された部分(表現面)と、表現にあらわれないで表現を支えるもの(表現層)とがある。
 両者をいかに組み合わせて学習するかが、授業の成否にかかわる。指導者が表現層に力点を置き過ぎると、表現面がなおざりになり、危険である。表現面に中心を置き、表現層は必要最小限に絞る方がよい。
 
 例えば、実証的に理解するために、「萩」が出れば「萩の花」、「洋燈」が出れば「ランプ」を見せることは、作品の理解には効果的である。しかし、「襖にほとばしっている血潮」を再現して見せれば、小説学習の域を逸脱することになる。
 作者の経歴・作品の系譜・批評家の意見なども、作品理解に必要な程度にとどめなければ、予断が入り、逆効果となる。これらは発展学習として、小説読解後に扱いたい。
 
 長編小説の一部が教科書に採録されている場合、全体との関わりをどこまで説明していくかについては、後で触れる。
 
第三節   長編小説と短編小説
 
長編小説(中編小説)と短編小説との違いは、単に量的な多少という形式上のことだけではなく、内容的に大きな差があることである。
 
 (1) 短編小説 : ほとんどは、一つの事件、一つの性格の描出というように、単一性に貫かれた表現によって、社会や人生や歴史の姿を、その切断面において示す文学形式である。
 
 (2) 長編小説 : 流動する社会や人生や歴史の姿を(錯雑した社会の中に生きる人間の、内面と外界の複雑な姿を)、その動的な展開の相によって、長い時間の流れに添いつつ、広汎に物語る文学形式である。
 この両者の違いは、小説学習において、常に明確に把握しておく必要がある。
 
第四節   小説学習法
 
      (1) 小説読解の過程
 
 @正しい朗読 A語句の理解 B場面構成(段落)・事件の展開の考察 C登場人物の心理・性格・思想の動的な探究 D主題、作者の意図・発想の追求 E描写(表現)の特色の把握と鑑賞
→ こうして、作者の、散文表現による虚構の意図を明確にしていく。
 F人生や社会に対する、自己の認識力・思考力・批判力を身に付ける。
 
      (2) 短編小説の学習法 
 
  @ 事件の展開(場面構成)の考察 → 人物の心理・性格の探究 → 主題の追求 → 感想文 
 
  A 人物の心理の推移・性格・思想の探究 → 主題の追求 → 場面構成の考察 → 感想文     
  B 全体的に大づかみに主題を追求(感想文・設問等) → 事件の展開の考察    →人物の心理・性格の探究 →主題の確認 →感想文
 
 これらは、対象となる小説の学習効果を考慮する上で、生まれてくる方法である。いずれにしても、事件の展開・人物の性格・心理の動きなど、作品内容を追求していくことになる。
 その過程において、学習者に正しく作品を読み取らせるために、適切な設問を設定すると、効果的な学習法となる。
 
        (3) 長編小説の学習法
 
 まず質的に短編小説とは違うことを認識し、学習法を考えねばならない。
 長編小説は、人生や社会を全体的にとらえ、それを動的に表現したものであるため、必然的に分量が多くなったもので、教材としては、その全体を収録することは不可能である。
 そこで、指導者が陥り易いことは、教科書に採録された部分を、短編小説的な取り扱いをしただけで、全体を見ずに素通りしてしまいがちなことである。指導者は、常に長編全体との関わりや位置付けを意識して置かねばならない。
 
 上記の短編小説の学習法に加えて、長編小説の学習として留意すべきことを挙げてみる。
 
@ 教材採録部分が、その長編小説においてどのような位置にあるかを、学習者に理解させること。     
A 教材採録部分の内容探究を通して得られた主題を、小説全体の主題と有機的に関連させて理解させること。
B 教材採録の長編小説全文を読み通すことを勧め、長編小説の特質を理解させる。
 
   
第二章  漱石文学の世界
 
第一節  漱石文学の流れ
                
                (1) 「夏目漱石の作風の変遷」( 資料1)を参照
 
          (2) 「漱石文学の主題の図式」( 資料2)を参照
 
第二節  高校で学習する漱石文学
  
高校の教科書に出てくる漱石の作品は、比較的限られている。その主なものを挙げる。
 
@ 三四郎・・・青春を背景。文明批評と我執の二元テーマ(分裂)。中期三部作の最初。
 
A こころ・・・青春を背景。我執とその罪。二元テーマ(統一)。後期三部作の最後。
 
B 夢十夜・・・合理的意識以外のものへの関心を示した最初。「道草」へ発展。
 
C 吾輩は猫である・・・漱石文学の出発点。戯画化した文明批評。
 
D それから・・・青春を背景。「我執とその罪」の問題提起。二元テーマ(融合)。中期三部作の中間。
 
E 虞美人草・・・文明批評と我執の二元テーマの問題提起。
 
F 明暗・・・・ 漱石文学の終着点。二元テーマ(一元化)。則天去私的。
☆ 漱石は、生涯を通じて、同じ主題[文明批評と我執]を追求し続けている。また、中期の「虞美人草」以来、構成や登場人物の性格設定に一貫性がみられる(江藤淳説)。
 したがって、漱石文学は、@ 主題の展開  A 文章の構成 を追求することにより、作者の小説執筆の意図や思想を探ることも可能であろう。