夏目漱石の作風の変遷 |
夏目漱石 [ 慶応三(1867)年〜大正五(1916)年 ] |
T 初期 余裕派時代 [明治三八(1905)〜四〇(1907)年
] 39〜41歳(年齢は数え年)
風刺と美意識の時代・・・現実的傾向とロマン的傾向の二傾向が表裏をなす作品
(1)人間社会に対する抗議を主にした作品
(世俗の醜悪さを剔抉(けってき)している立場)
「吾輩は猫である」(明治三八) 「坊つちやん」(明治三九) 「二百十日」(明治三九)
(2)浪漫的色調の作品 ( 自然主義に対立、浪漫的詩情の低徊趣味の立場
)
「倫敦塔(ろんどんとう)」(明治三八)
「草枕」(明治三九) 「野分」(明治四〇)
U 中期 主知派時代 [明治四〇(1907)〜四十三(1910)年
]41〜44歳
知的な構想による心理分析を主とした時代・・・恋愛を主要テーマとし、ヨーロッパの個人主義思想を踏まえた 高次の倫理観と人生観を追究した作品
「虞美人草(ぐびじんそう)」(明治四一) 「坑夫」(明治四一) 「夢十夜」(明治四一)
「三四郎」(明治四一) 「それから」(明治四二) 「門」(明治四三) [中期三部作] V 後期 心理主義時代[明治四四(1911)〜大正五(1916)年]45〜50歳
明治四三(1910)年夏の修善寺の大患で、死地を脱して以後、著しく内面的傾向を深めた時代
(1)人間のエゴイズムを解析した作品 (現実を凝視し、人間探求の実験的立場)
「彼岸過迄(ひがんすぎまで)」(明治四五)
「行人(こうじん)」(大正一〜二) 「こころ」(大正三)[後期三部作] (2)「則天去私(そくてんきょし)」的作品
(自我を超えた絶対無私の姿そのままに生きる、宗教的諦念(ていねん)の世界に入ろうとする立場)
「硝子戸(がらすど)の中」(随筆・大正四) 「道草」(大正四) 「明暗」(未完・大正五)
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