万葉の悲劇 その七 |
大津皇子年譜と辞世の詩歌 |
661(斉明七)年 大伯皇女(おほくのひめみこ)誕生
父:大海人皇子(おほあまのみこ:後の天武天皇)
母:太田皇女(おほたのひめみこ・[父:天智天皇、母:遠智姫(をちのいらつめ:蘇我倉山田石川麿の娘)])
662(天智元)年 草壁皇子(くさかべのみこ)誕生(天武天皇第二皇子)
父:大海人皇子 母:ア野讃良皇女(うののさららのひめみこ:後の持統天皇・[父:天智天皇、母:遠智 姫]:太田皇女の妹)
663(天智二)年 大津皇子誕生(天武天皇第三皇子)
父:大海人皇子 母:太田皇女
671(天智十)年 天智天皇崩
672(天武元)年 壬申(じんしん)の乱 :大津皇子は第一皇子高市皇子(たけちのみこ)と共に近江を出て、父方の軍に加わる。
674(天武三)年 大伯皇女が伊勢神宮の斎宮(いつきのみや)となる。
676(天武五)年 大津皇子・大伯皇女の母:太田皇女死去
679(天武八)年5月 吉野で六皇子の盟(ちかい)
683(天武十二)年 大津皇子はじめて朝政を聴く。
685(天武十四)年 大津皇子は浄大弐位を授けられて厚遇される。
686(朱鳥あかみどり元)年9月9日 天武天皇崩 皇后ア野讃良皇女((うののさららのひめみこ)称制(持統天皇)
新羅の僧の行心(ぎょうしん)が大津皇子の骨相を見て、久しく臣下でいると身が危ういと言うので、反逆を企てた。(懐風藻)
10月2日 大津皇子の謀反(むほん)発覚、逮捕。
友人河島皇子の密告という(懐風藻)
10月3日 大津皇子が 訳語田(おさだ)の舎(いえ)で処刑される。二十四歳。
辞世の歌(万葉集巻第三416)
臨終の五言絶句(懐風藻)
大津皇子の妃(きさき)山辺皇女(やまのべのひめみこ)、髪を乱し素足で走り赴(おも)きて殉死(持統紀)
11月16日 大伯皇女斎宮を罷免されて、飛鳥浄御原宮(あすかきよみはらのみや)に帰る(持統紀)
○ 万葉集巻第三 挽歌 416
大津皇子、死を被(たまは)りし時に、磐余(いはれ)の池の堤にして涙を流して作らす歌
一首
☆ 百伝ふ 磐余の池に 鳴く鴨を 今日のみ見てや 雲隠りなむ
○ 懐風藻 大津皇子四首 五言 臨終 一絶
金 烏 臨 西 舎 鼓 声 催 短 命
泉 路 無 賓 主 此 夕 離 家 向
(日は西の家屋を照らして西に傾き、夕刻を告げる鼓の音は、自分の短い命をさらにせき立てるように促す。
死出の道には客も主人も無く、自分ひとりだ。 この夕べ、自分は家を離れてひとり死出の旅路に向かう。) |