その5 
 
 妻問い(つまどい)     
              
  むかしむかしの大昔、この灘五郷(なだごごう)のあたりは、まとめて芦屋(あしや)と呼ばれていたんや。神戸の灘区から西宮(にしのみや)あたりまでの海岸や。今では灘の生一本(きいっぽん)とかいうて、酒造りで有名やけど、この芦屋には、三つの前方後円の古墳があって、妻問いの悲話が語り継がれてるんや。 
  
  芦屋の莵原(うなひ)の郡(こおり)に、美しい娘がおった。家は貧しかったが、心は
とっても優しかったさかい、里の人々は、莵原処女(うなひおとめ)と呼んで讃えていたんや。もちろん、男たちはほってはおかなんだ。その中でも、この里で最も勇ましいによって、莵原壮士(うなひおとこ)って言われている男の執心は、そりや並みではなかった。そやけど、当の娘は、誰にも首を縦に振らなんだ。                 
 
  ところが、あるとき、和泉(いずみ)の国から血沼壮士(ちぬおとこ)が海を渡ってや
って来た。血沼とは、今の堺や岸和田あたりのことや。男は、たちまち娘の美しさと優しさに魅せられてもうた。娘も、荒海を越えてきたこの逞(たくま)しい若者を、憎からず思うようになった。そやけど、この里では、他国の男との結婚は禁じられていたんや。そやさかい、まじめなこの娘は、なんも返事ができんでおった。            
 
  さて、よそ者が娘に懸想(けそう)してるのを知った莵原壮士(うなひおとこ)は、 いきり立った。猛然
と闘争心を燃やした。負けられなかった。彼の誇りが、よそ者に同郷の娘を奪われることを許さなかったんや。二人の男は、事あるごとに激しく争った。ついには、刀や弓矢にかけても相手を倒そうと思うようになった。決闘や。
 
  心優しい娘は、母に言うた。「わたしのような者のために、立派な男二人が、命がけで
争っています。どちらが勝っても、結婚するわけにはいきません。あの世でお二人をお待ちしましょう。」と、そう言い残して、冷たい摂津(つ)の海に身を投げたんや。
 
  その夜血沼壮士の夢に入水(じゅすい)する娘の姿が現れた。翌日すぐに、彼は娘の後
を追って、海に消えた。その話を聞いた莵原壮士は、天を仰いで大声で娘の名を叫び、地に伏してよそ者に後れをとったことを歯ぎしりした。娘への恋しさと己の誇りを守るために、腰に刀を帯びて、二人の後を追って入水してしもうた。          
 
  三人の死骸はついに上がらなんだが、里人たちは三人を憐れみ、処女塚(おとめづか)
を間にはさんで、東に血沼壮士の、西に莵原壮士の求女塚(もとめづか)を造って弔ったんや。処女塚の周りは、人々が石を積上げて垣を築き、その頂きに娘の黄楊(つげ)の櫛を刺した。なんとその櫛から根が生え、やがて枝を張った。その枝はいつも東へ靡(なび)いたんや。やっぱり娘は血沼壮士を慕ってたんやなあ。 

  八世紀に高橋虫麿(たかはしのむしまろ)はんや田辺福麿(たなべのさきまろ)はんが
この地を訪れた時は、まだ石垣なんかもしっかりしていたそうや。それから幾星霜、沖の海は変じて島となり、塚は砕かれて人家となった。ただ塚の一部は残って公園として名を留めておるんや。               
  
  こないに男の恋は命を賭けるもんや。わてかて若い時分は・・・ 
 今でも冷たい六甲おろしの冬の夜には、崩れた塚の下から、激しく争う声とすすり泣きとが聞こえてくるそうや。        
        (一九九一年二月一日「桐一葉」第十号より)  
 
     研究資料へ  目次へ  その六