万 葉 の 悲 劇 その十六 |
終焉(しゅうえん) |
入学すれば卒業があり、就職すれば退職があるように、ものごとにはすべて終わりがあります。しかし、終わりはまた、新しい出発でもあります。
「万葉集」の終わりは、大伴家持(おおとものやかもち)の歌で締めくくります。
新しき 年の初めの 初春(はつはる)の
今日(けふ)降る雪の いや重(し)け吉事(よごと) (巻二十・四五一六) (新年の初春の今日、いま降っているこの雪のように、もっと積もれ、良い事よ) 七五九(天平宝字三)年正月一日、因幡国(いなばのくに)の役所で、部下や村々の長(おさ)を前にして詠んだ歌です。正月の大雪は、豊年の瑞兆と考えられていました。大伴家持は、前年の六月に因幡の国守(くにのかみ)として赴任(ふにん)し、初めて迎えた正月でした。人々を前にして、挨拶の形で詠んだとも言えますが、彼は心から真剣に願いを込めて詠んだのです。実はそれほど彼の心は山陰の冬の空のように暗かったのです。 しかし、当時の彼にはそんな願いがかなうほど希望を持てる材料は、何ひとつありませんでした。やっと得た中央官僚の職も、時の権力者藤原仲麻呂(ふじわらのなかまろ)により解任、地方に左遷(させん)されたのです。家持四十二歳でした。 大伴氏(おおともし)は大和時代から朝廷の軍事を司る名門氏族で、家持の家はその氏(うじ)の長者(ちょうじゃ)でした。そして父旅人(たびと)の死後跡(あと)を継ぎ、氏の長者として一族を束ねる立場になりました。しかし、この奈良時代には大伴氏の力は格段に弱まり、父も死ぬ直前にやっと大納言になるという状態でした。かつては金城鉄壁を誇った一族の結束も弱まり、家持が「族(やから)を喩(さと)す」と題す る歌を出しても、結束を乱し謀反の罪で捕縛される者も多く出ました。肝心の軍事からも遠ざけられ、政界で孤立無援になり、地方の役所で正月を迎える彼の心は、焦燥と寂しさのやるせないものでした。降りしきる雪は、一層暗く、心にのしかかるようにしんしんと重く積もって行くのでした。 この歌をもって万葉集は約四千五百首の歌絵巻(うたえまき)の幕を閉じます。新年の歌をもって終わることには、深い暗示があるように思います。こののち
万葉集は、大伴家で家持を中心に密かに温められながら、世に出るのを待っていました。新たな春を、旅立ちの時を待っていたのです。ただ、家持自身はこののち歌わない人になってしまいました。いや、密かに歌を詠んでいたのかもしれません。あるいは、万葉集の編集を手がけていたのかもしれません。しかし、世間には歌を忘れたカナリヤのように、まったく歌わない政治家になってしまったのです。 (一九九九年二月二十二日 「桐一葉」第二十六号より) |