万葉の悲劇 その十二 
 巻 向 の 女
 
研究資料
 
 
☆印は、本文に引用した歌を示す。
 
  巻第二 柿本朝臣人麻呂(かきのもとのあそみひとまろ)、妻が死にし後に、泣血哀慟(きふけつあいどううして作る歌二首 併せて短歌
 その2番目の長歌と短歌である。初めの歌は、軽の女の挽歌である。【→ その十一資料】210

うつせみと 思ひし時に(一に云ふ、「うつそみと思ひし」) 取り持ちて 吾(わ)が二人(ふたり)見し 走り出(はしりで)の 堤(つつみ)に立てる 槻(つき)の木の こちごちの枝(え)の 春の葉の 繁(しげ)きがごとく 思へるし 妹(いも)にはあれど 頼(たの)めりし 児(こ)らにはあれど 世の中を 背(そむ)きし得(え)ねば かぎろひの もゆる荒野(あらの)に 白たへの 天領巾隠(あまひれがく)り 鳥じもの 朝立(あさだ)ちいまして 入日(いりひ)なす 隠(かく)りにしかば 吾妹子(わぎもこ)が 形見に置ける みどり子の 乞(こ)ひ泣くごとに 取り与(あた)ふる 物しなければ 男(をとこ)じもの わき挟(ばさ)み持ち 吾妹子と 二人吾(わ)が寝(ね)し 枕づく つま屋(や)の内(うち)に 昼(ひる)はも うらさび暮らし 夜(よる)はも 息づき明かし 嘆けども せむすべ知らに 恋ふれども 逢ふよしをなみ 大鳥(おほとり)の 羽易(はがひ)の山に 吾(あ)が恋ふる 妹(いも)はいますと 人の言へば 岩根(いはね)さくみて なづみ来(こ)し 良(よ)けくもそなき うつせみと 思ひし妹(いも)が 玉(たま)かぎる 髣髴(ほのかに)だにも 見(み)えなく思へば 
 
この世の人だと 思っていた時に(または、「不死身だと 思っていた時に」)手に取り持って 二人で眺めた(「槻の枝の葉」にかかる) 走り出の 堤に立っている 槻(つき:けやき)の木の あちこちの枝の 春の葉が 繁っているように 若いと思っていた 妻ではあるけれども 頼りにしていた 女ではあるけれども 世の中の道理に 背くことはできないので 陽炎(かげろう)の 燃える荒れ野に 真っ白な 天人の羽衣に包まれ 鳥でもないのに 朝(あさ)家を出て (入り日なす)隠れてしまったので わが愛する妻が 形見に残した 幼な子が 物をほしがって泣くたびに 取り与える 物もないので 男のくせに 脇にはさんで抱き 愛する妻と ふたりで寝た (枕づく) 離れ家(や)の中で 昼は心淋しく暮らし 夜はため息ばかりついて明かし 嘆いても どうしてよいかわからず 恋い慕っても 逢えるわけもないので 大きな鳥の 羽の名を持つ羽易(はがい)の山に 私が恋い慕う 妻がいますと 言う人がいたので 岩を押しわけて 苦しみながらもやって来たが そのかいもないことだ この世の人だと 思っていた妻が (玉かぎる) ほのかにさえも 見えないことを思うと)
 
   短歌 二首
 211
   去年(こぞ)見てし 秋の月夜(つくよ)は 照らせども 
          相見(あひみ)
し妹は   いや年離(さか)る 
(去年見た 秋の月は 今も照らしているが いっしょに見た妻は ますます年月が遠ざかっていく)
 
 212
衾道(ふすまぢ)を 引き手の山に 妹(いも)を置きて 
                     山道(やまぢ)を行(ゆ)けば  生(い)けりともなし
(衾道よ 引き手の山に 妻を置いて 山道を帰って来ると もはや生きている気がしないよ)
 
「或本(あるほん)の歌に曰(いは)く」として、213〜216まで類歌を載せている。そのうち、次の短歌は、前記にないので、記す。
 216
 家に来(き)て 吾(わ)が屋(や)を見れば 玉床(たまどこ) 
          (よそ)に向きけり 妹が木枕(こまくら)
(家に帰って わが家を見ると 元の床(とこ)でも いつもとは違う方に向いている 亡き妻の木の枕は)
 
 
上の長歌と関わりがありそうな歌を以下に挙げてみよう。
 
   巻七 雲を詠(よ)む
 1087
 痛足川(あなしがは) 川波(かはなみ)立ちぬ 巻向(まきむく) 
        弓月が岳(ゆづきがたけ)に 雲居(くもゐ)立てるらし
(穴師川(あなしがわ)に 川波がたってきた 巻向の 弓月が岳に 雲が立ちのぼっていることだろう
 
 1088
あしひきの 山川(やまがは)の瀬(せ)の 鳴るなへに 
        弓月が岳(ゆづきがたけ)に 雲立ち渡る
(あしひきの)(山の中の川の瀬が 鳴り響くのに合わせて 弓月が岳に 雲が広がり渡っていく)
 
 左注:右の二首、柿本朝臣人麻呂が歌集に出づ
 
 
  巻七 河を詠む
 1100
巻向の 痛足の川(あなしのかは)ゆ 行(ゆ)く水の 
         絶ゆることなく またかへり見む
(巻向の 穴師の川を 流れて行く水のように 絶えることなく また来て見よう)
 
 1101
  ぬばたまの 夜(よる)さり来(く)れば 巻向の 
         川音(かはおと)(たか)しも あらしかも疾(と)
(ぬばたまの)(夜がやって来ると 巻向の 川の瀬音が高いよ 山おろしの風が激しいからだろうか)
 
 左注:右の二首、柿本朝臣人麻呂が歌集に出づ
 
 
  巻七 葉を詠む
 1118
  (いにしへ)に ありけむ人も 吾(わ)がごとか 
      三輪(みわ)の檜原(ひばら)に かざし折(を)りけむ
(その昔 いた人々も わたしたちのように 三輪の檜原で この枝を折ってかんざしにしたことであろうか)
 
 1119
  行く川の 過ぎにし人の 手折(たを)らねば 
      うらぶれ立てり 三輪の檜原は
(行く水の)(昔の人が 手折ってくれないので しょんぼり立っている 三輪の檜原は)
 
 左注:右の二首、柿本朝臣人麻呂が歌集に出づ
 
 
   巻七   所に就(つ)きて 思ひを発(おこ)す
 1268
(こ)らが手を 巻向山は 常にあれど 
       過ぎにし人に 行(ゆ)き巻かめやも
(妻の手を巻くという)(巻向山は 昔通りにあるが 亡くなった人に 手枕(てまくら)をさせてやれようか)
 
 1269
巻向(まきむく)の 山辺(やまへ)(とよ)みて 行(ゆ)く水の 
       水沫(みなあわ)のごとし 世人(よひと)吾等(われ[ら」)
(巻向の 山辺を響(ひび)かせて 流れ行く川の 水の泡のようなものだ この世に命ある身のわれらは)
 
 左注:右の二首、柿本朝臣人麻呂が歌集に出づ
 
    巻七   行路(ぎやうろ)
 1271
(とほ)くありて 雲居(くもゐ)に見ゆる 妹(いも)が家(いへ) 
        早く至らむ (あゆ)め黒駒(くろこま)
(遠くにあって 雲のかなたに見える 妻の家に 早く着きたい はやく歩け黒駒よ)
 
 左注:右の一首、柿本朝臣人麻呂が歌集に出づ 
 
 
   巻九   舎人皇子(とねりのみこ)に献(たてまつ)る歌二首(1774/1775)
 1775
泊瀬川(はつせがは) (ゆふ)渡り来て 我妹子(わぎもこ) 
        家の金門(かなと)
に 近づきにけり
(初瀬川を 夕方渡って来て 愛妻の 家の門に いよいよ近づいてきたなあ)
 
 左注:右の三首、柿本朝臣人麻呂が歌集に出づ (そのうちの最後の歌である)
 
 これは、舎人親王への相聞的な挽歌であるが、自分のこととして実感をこめて詠んでいて、位置的にも巻向が想定されるので、ここに取り上げ、本文にもあえて挿入してみた。