「大人になれなかった弟たちに・・・・」
[戦争時の重要基本語句] |
次の語句について、家族や近所の人に聞いたり、辞書を引いたり、写真集などを見たりして、調べてみよう。
1 国民学校 = それまで「尋常高等小学校(じんじょうこうとうしょうがっこう)」と呼んでいた初等教育学校を、1941(昭和16)年から、軍事的な基礎訓練を目的として、「国民学校」と名前を変え、初等科六年、高等科二年とした。戦後、1947年に再び「小学校」となり六年制となった。
2 防空壕 = 空襲の際に、待避するための地下に掘った穴や建造物。 公的施設や会社だけでなく、一般家庭でも穴を掘って造った。
3 空襲 = 戦闘機や爆撃機などの航空機により機関砲爆弾や焼夷弾(しょういだん)などで地上の目標を攻撃すること。特に日本は木造建築がほとんどであったため、焼夷弾による大火災が起こった。敵機が遠くから来ると警戒警報(ウーと長く連続して鳴る)、近くに来ると空襲警報(ウー・ウー・ウーと断続して鳴る)を出して人々に知らせた。
4 配給制度= 戦争中および戦後も数年間、米・麦など主要な食糧を政 府が統制して自由な売買を禁止し、国民の人数に割り当てて、統一した公定価格で配給所で配られた制度。 この統制を無視して、個人的に売買するのが闇(やみ)取引き。闇取り引きの値段を闇相場(やみそうば)。闇取引きの品を売る場所を闇市(やみいち)という。配給される量や品数が少ないので、闇取引きが横行した。
5 疎開 = 空襲による被害を避けるため、二つの「疎開」があった。 @都市から田舎へ、特に児童を分散すること【学童疎開(がくどうそかい)という】。また、 A密集した建物を移動・解体して、延焼を防ぐこと【建物疎開(たてものそかい)という】。
@は、国民学校で行われた。高学年は集団疎開(学校単位の疎開)し、低学年は縁故(えんこ)疎開をした。縁故疎開とは親戚や知人などを頼る個人的な疎開のこと。
Aは、主に中学生・女学生(今の中学・高校生)たちが、学校から集団で出かけて作業した。広島市では、平和大通り周辺の建物疎開に出ていて原爆にあった中学生・女学生が多い。
6 荷馬車(にばしゃ)= 馬に荷台をつけた、荷物を運ぶための車。戦争中、トラックは軍用のため、民間にはほとんどなく、荷馬車を用いた。戦後も1956年頃まで多く用いられた。
7 タケノコ生活= 筍(竹の子)の皮をはぐように、衣類や身の回り品 を売っては食糧費などに当てた暮らしかた。
8 栄養失調= 食物の摂取不足などにより、特にタンパク質が不足し、 体が異常になる状態。浮しゅ・貧血・下痢が続き、痩せて肋骨が浮き出て、腹が膨れてくる。
9 B29= Boeing B29 Superfortress (超空の要塞)。第二次大戦末期の、アメリカ・ボーイング社製の大型長距離爆撃機。単葉プロペラ4発。航空距離4585km。1944年6月初出撃日本空襲と原爆投下に用いられた。日本の当時の高射砲では全く届かない高さを飛んだ。 |
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