枕草子 第129段。 |
底本は新古典大系(三巻本陽明文庫本) 日本古典全書131段 日本古典大系136段 田中「全注釈」139段 |
頭の弁(とうのべん)の、 職(しき)に参り給ひて、 物語などし給ひしに、
頭の弁(藤原行成)が、職(の御曹司[みぞうし])に参上なさって、お話などしていらっしゃったうちに、
「夜いたうふけぬ。明日(あす)御物忌(ものいみ)なるにこもるべければ、
「夜がたいそう更けた。明日は主上の御物忌なので殿上(てんじょう)の間に詰めなければならない か ら、
丑になりなば、 あしかりなむ」
丑の刻(夜中12時ころ)になてしまったら、具合悪かろう。」
とて、参り給ひぬ。
と言って、宮中に参上してしまわれた。
つとめて、蔵人所の紙屋紙(かうやがみ)ひき重ねて、
翌朝、 蔵人所の紙屋紙を折り重ねて、
「今日(けふ)は、残り多かる心地なむする。夜を通して、昔物語もきこえ
「きょうは、たいへん心残りがすることです。夜通し、昔話も申し上げて
明かさむとせしを、にはとりの声に催されてなむ」
夜を明かそうとしたのですが、鶏の声にせき立てられて」
と、いみじう言(こと)多く書き給へる、いとめでたし。
と、たいそう多くのことをお書きになっていらっしゃるのは、とてもすばらしい。
御返(かへ)りに、
ご返事に、
「いと夜ふかく侍りける鳥の声は、孟嘗君(まうさうくん)のにや」
「たいへん夜深く鳴きましたという鶏の声は、孟嘗君のそれでしょうか」
と聞こえたれば、 たちかへり、
と申し上げたところ、折り返し、
「孟嘗君のにはとりは、『函谷関(かんこくくわん)を開きて、三千の客(かく)わづかに去れり』
「孟嘗君の鶏は、 「函谷関を開いて、三千人の食客(しょっかく)がやっと逃げ去った。
とあれども、これは逢坂(あふさか)の関(せき)なり」
と(物の本に)あるけれども、これは(あなたと逢った)逢坂の関のことですよ」
とあれば、
とあるので、
「夜をこめて 鳥のそら音(ね)は はかるとも 世に逢坂の 関はゆるさじ
「夜のまだ明けない時に にせものの鶏の声は函谷関の番人をだましたとしても
この男女が逢うという逢坂の関は、けっしてだまされて許すようなことはしませんよ
心かしこき関守(せきもり)侍(はべ)り」
(逢坂の関には)利口な番人がおります」
と聞こゆ。 と申し上げる。
またたちかへり、
また折り返して、
「逢坂は人越えやすき関なれば、鳥鳴かぬにもあけて待つとか」
「逢坂は人が越えやすい関なので、鶏が鳴かないうちにも関の戸を開けて待つとかいうことですよ」
(あなたはいつでも容易に人に逢うとの噂ですよ) とありし文どもを、
と書いてあった手紙を、
はじめのは 僧都の君 いみじう額(ぬか)をさへつきてとり給ひてき。
初めの手紙は、僧都の君がたいそう礼拝までして(私から)お取りになってしまった。
のちのちのは御前に。
あとの二通は中宮様のところに。
さて、
それはそうと、
「逢坂の歌はへされて、返しもせずなりにき。いとわろし。 「逢坂はの歌は、詠みぶりに圧倒されて、返歌もしないで終わってしまったね。どうも具合が悪いね。
さてその文は殿上人みな見てしは」
そうしてあなたのその手紙は殿上人がみな見てしまったよ」
とのたまへば、
とおっしゃるので、
「まことに思(おぼ)しけりと、これにこそ知られぬれ。
「本当に(あなたが私のことを)思ってくださったとは、これで初めてわかりました。
めでたき言など、人のいひ伝へぬは、かひなきわざぞかし。
すばらしいことを、相手の人が言い広めないのは、確かにかいのないことですよ。
又みぐるしき言ちるがわびしければ、
一方また、見苦しいことが世間に散り広がるのが困るので、
御文は、いみじう隠して人につゆみせ侍らず。
(あなたの)お手紙は、たいそう隠して人に決して見せておりません。
御心ざしのほどをくらぶるに、ひとしくこそは」
(私の歌を人に知らせてくださった)あなたのお心配りと比べると、(相手を思いやる心は)同等ですね。」
と言へば、
と言うと、
「かく物を思ひ知りて言ふが、なほ人には似ずおぼゆる。
「このように物をわかって言うところが、やはり人とは違うように思われる。
『思ひ隈なく、あしうしたり』など、
『(人に見せるなんて)軽率で思いやりがなく、わるいことをした』などと、
例の女のやうにや言はむとこそ思ひつれ」 普通の女性のように文句を言うのではなかろうかと思っていたのに」
など言ひて、笑ひ給ふ。
など言って、お笑いなさる。
「こはなどて。よろこびをこそ聞こえめ」
「それはどうして。(こちらから)お礼をこそ申し上げたいわ」
など言ふ。
などと言う。
「まろが文を隠し給ひける、また、なほあはれにうれしきことなりかし。
「わたしの手紙を隠しなさったということは、また、やはりしみじみとうれしいことですよ。
いかに心憂くつらからまし。今よりも、さを頼み聞こえむ」
(そうでなかったら)どんなにか情けなくつらかったことでしょう。今後もそのようにお頼み申し上げましょう」
などのたまひて後に、経房の中将おはして、
などとおっしゃって、その後に、経房の中将がいらっしゃって、
「頭の弁はいみじうほめたまふとは知りたりや。
「頭の弁が、たいそうほめていらっしゃるということは知っていますか。
一日(ひとひ)の文に、ありし事など語り給ふ。
先日の(わたしへの)手紙に、このあいだの事などを書いていらっしゃる。
思ふ人の、人にほめらるるは、いみじううれしき」
思いを寄せている人が、人にほめられるのは、たいそううれしいことだ」
など、まめまめしうのたまふもをかし。
などと、いかにも真剣におっしゃるのもおもしろい。
「うれしき事二つにて、かのほめ給ふなるに、また、思ふ人の中(うち)に侍りけるをなむ」
「嬉しいことが二つになって、あの方がほめてくださるうえに、また、あなたの『思う人』の中に私が入っておりましたので」
と言へば、
と(私が)言うと
「それ、めづらしう、今の事のやうにもよろこび給ふかな」
「そんなこと、めすらしく、今初めて知ったことのようにお喜びになるなあ。(あなたは以前からわたしの『思う人』なのに)」
などのたまふ。
などとおっしゃる。
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語句と文法(工事中)
問題と解答(基本学習)
問題と解答(発展的学習)
引用漢文(史記「孟嘗君列伝」)