第三章「こころ」をめぐって
第四節  「こころ」の問題点・論点
 
 
今日まで、「こころ」の主題や構成についての重要な問題点が、数多く提起され、今なお論争されている。その主なものを挙げてみる。
 
A Kの死因について
 
 
「K」の自殺の理由は、今日の「こころ」論、さらには漱石論における重要な問題となっている。
 
[T] 「K」の死因の手がかりとなる主なものは、次の部分である。ただし、Kの死は、すべて先生のフィルターを通して語られていることに注意しておかねばならない。
 
 @ K自身が残した遺書(下・先生の遺書 四十八)
  「手紙の内容は簡単でした。そうして寧ろ抽象的でした。自分は薄志弱行で到底行き先の望みがないから、自殺するというだけなのです。それから今まで私に世話になった礼が、ごくあっさりした文句でその後に付け加えてありました。世話ついでに死後の片付け方も頼みたいという言葉もありました。奥さんに迷惑をかけて済まんから宜しくわびをしてくれという依頼もありました。国元へは私から知らせてもらいたいという依頼もありました。必要なことはみんな一口ずつ書いてある中に、お嬢さんの名前だけは何処にも見えません。」
 
 A Kのことば=「覚悟、・・覚悟ならないこともない。」(下・四十二)
 
 B Kの行動。                           
  1)「私は程なく穏やかな眠りに落ちました。しかし、突然私の名を呼ぶ声で目を覚ましました。見ると、間の襖が二尺ばかり開いて、そこにKの黒い影が立っています。そうして彼の部屋には宵の通りまだ燈火がついているのです。」(下・四十三)               
  2)「勘定してみると奥さんがKに話をしてからもう二日余りになります。その間Kは私に対して少しも以前と異なった様子を見せなかったので、私は全くそれに気がつかずにいたのです。」(下・四十八)
 
  3)「私は枕元から吹き込む寒い風でふと目を覚ましたのです。見ると、いつも立て切ってあるKと私の部屋との仕切りの襖が、この間の晩と同じくらい開いています。けれどもこの間のように、Kの黒い姿はそこには立っていません。」(下・四十八)
 
 C 先生の述懐。 
 
  「同時に私はKの死因を繰り返し繰り返し考えたのです。その当座は頭がただ恋の一字で支配されていたせいでもありましょうが、私の観察は寧ろ簡単でしかも直線的でした。Kはまさしく失恋のために死んだものとすぐ極めてしまったのです。しかし、段々落ち着いた気分で、同じ現象に向かってみると、そう容易くは解決が着かないように思われてきました。現実と理想の衝突、・・それでもまだ不充分でした。
 私はしまいにKが私のようにたった一人で淋しくって仕方がなくなった結果、急に所決したのではなかろうかと疑い出しました。そうしてまたぞっとしたのです。私もKの歩いた路を、Kと同じように辿っているのだという予覚が、折々風のように私の胸を横切り始めたからです。」(下・五十三)
[U] 死因と考えられている主なものは、次の事柄である。                
 (1)自己への絶望  求道的精進・修業第一主義の生き方の中で、恋愛につまずいたことから、薄志弱行の自己に絶望した。自己の信念の挫折の結果、自己の拠り所を喪失した。
                                             
 (2)人間不信・自己存在の罪意識
  @ 先生との友情が裏切られ、薄志弱行の自己をも含めた人間自体に、不信を抱いた。
  A 友を策略に駆りたてたのは自分だという、加害者意識を持った。        
  B 自己の存在悪という原罪ふうの意識に至った。
 
 (3) 淋しさ(孤独感) 近代人でありながら、近代的人間関係を持てなかった自己(閉ざされた自我)の孤独さから、淋しくなった。
 
 ☆ (1)と(2)の@Aからは、「自己処罰としての自殺」が導かれ、(2)のBや(3)からは、「一人ぽっちの淋しさによる自殺」が導き出される。
 このうち、(1)・(2)の@・(3)はほぼ定説となっている。しかし、(2)のAやBのように、Kがはたして加害者意識や、さらには原罪意識まで抱いていたか、については、疑問視する説もある。
 
[V] 諸説を記す。
 
   (1)畑有三 「心」(国文学盾S0・八月号)
 
  Kを先生の先行者だとみれば、その死因として次の三つを考えることが可能になってくる。
 @ 近代的な対等の人間関係を誰との間にも持っていないことからくる相互理解の欠如・・・・ 他人を信じられない淋しさをKは感ぜずにいられなかったこと
 A 精神優位説観と修業第一主義を堅持し続けた人間が、お嬢さんへの恋着によって、「精神的に向上心のないものは、馬鹿だ」の言葉を自分に冠せざるを得なくなり、「僕は馬鹿だ」として精神の破産に直面したこと・・・・行為を失った淋しさをKは感ぜずにいられなかったこと
 B 精神の破産に直面した人間が、行為回復の最後の拠り所として、オーソリティに(Kにあっては精進という観念)に殉ずる道を選ぼうとしたこと
           
   (2)熊坂敦子 「夏目漱石の研究」(盾S8桜楓社)
 
   Kの死については、第一は、精神的に精進するを第一義に考えていたのに、心に隙が入ったことによる自己への絶望、第二は、お嬢さんへの愛が全くひとりよがりなものであったことを、実証されたことによる自信喪失、 第三は、先生との友情が裏切られたことによる人間不信などが考えられる。つまりKの死は、K自身の自己絶望が、大きなウエイトを占めていたことは言をまたない。むろんKには人間が信じ難く矛盾した存在であることの覚醒があったが、その人間不信の中にKは自信をも数えていたに違いない。
 
    (3)村上嘉隆 「夏目漱石論考」(盾T0啓隆閣)
 
   Kの「先を越」す行為には、他者意識が欠けていた。他者承認の意図すら含まぬ主観性があるのみである。これが果たして「倫理的」だろうか。ただ、他者の絶対排除があるのみである。しかし、KはKなりに、他者排除的加害者たる自己に絶望していたのかも知れぬ。
 結局、Kは自分で他者を排除し、自分で自分を「淋しく」してしまっていたのである。
 
    (4)佐藤泰正 「『こころ』における表層と深層」(〈近代文学会シンポジウム〉盾T6解釈と鑑賞)
 
  Kは明治のひとりの哲学青年として、あの追い付き追い越せの文明開化の波の中に取り残され、自己のアイデンティティを失ってしまう。両親や養父母など恩ある人たちをみな騙してまでも、自分がしがみついていたもの、哲学、それも昔の人が難行苦行して道を求めたような求道者としての道を歩もうとする生き方が、この文明開化の波の中で取り残された存在であることを知った時に、彼は決定的にアイデンティティを失い、生きる根拠を失ってしまう。 
 「覚悟なら、ないこともない」と応える時、彼は目が覚める。つまり、自分が異性に目が向いたということは、本当の熱烈な恋愛ではなくて、自分の心の足場を失った空虚さが異性に目を向けた。だから言われてみれば、そこに自分の本心はない、このことに目が覚める。同時に決定的に生きる拠り所を失ってしまう。こうしてKは自殺する。
 
    (5)遠矢龍之介  「現代文指導書『こころ』」(盾U1第一学習社)
 
  KはKの立たされている位置を痛感して、自ら命を断ったのである。自分を苦しい境遇から救ってくれた友人の、お嬢さんへの恋を知らないで、その仲に割って入ろうとしたそのことが、自分の存在理由でもあった信条にもとるばかりでなく、そのために、自分がいなければ決してそんな行動には出ないに違いない策謀へと友人を進ませた。友人自身も深く傷つき苦悩しているであろうだけに、自分の存在が許せなかった。(道に背いて恋の淵に陥ったことと、二人の間に分け入って、「私」(先生)を苦しめたことに対する自責の念が考えられる)
 
B Kが死を決意した時期
 
  Kの残した遺書の、最後に書き添えられた「もっと早く死ぬべきだのに何故今まで生きていたのだろう」という言葉をどう解釈するかの問題である。Kが何時自殺を決意したかについては、その死因から、次のような説が出てくる。
                             
1)房州を二人で旅した時期 (下・三十) 
  Kは、お嬢さんへの恋をすでに自覚しており、Kの死は、道に精進するという第一信条の挫折にあるとすると、この時点ですでに自殺への傾斜があったと考える説。
   ([田中保隆氏など]。→Kの死因[U]・(1)「自己への絶望」 参照)  
 
(2)先生にお嬢さんへの恋を打ち明けた時期  (下・三十五) 
  恋をはっきりと自覚し、第一信条としてきた道への逸脱を確認したのは、房州の旅のあとで、この時期に死を決意しつつ、思い余って先生に意見を求めたと考える説。
(死因・(1)参照)
 
(3)上野公園で話した時期 (下・四十一〜四十二) [平岡敏夫氏・佐藤泰正氏など]
 @ 「精神的に向上心のないものは、馬鹿だ」 →「僕は馬鹿だ」(下・四十一)
 A 「もうその話はやめよう」「覚悟、・・覚悟ならないこともない」(下・四十二)
  
 唯一の友人から、最も厳しい追究を受け、自分の信条に背いた責任を取る決意をしたと考える説。 (Kの死因[U]・(1)→(3)参照)
 
(4)上野から帰った晩 (下・四十三) [熊坂敦子氏・浅田隆氏・三好行雄氏など]
  Kが襖を二尺ばかり開けて先生を呼んだのは、自殺の準備をするため、先生の様子を確かめたと考える説。 (死因[U]・(1)→(3)参照)
 
(5)先生のお嬢さんへの求婚を知った時期 (下・四十七) [遠矢龍之介氏など]
  人間不信(さらには罪意識)や自責の念が加わり、自殺を決意した。
(死因[U]・(1)(2)→(3)参照)
 
☆ (ア) Kがお嬢さんを恋したと意識した時期を、何時と考えるかにより、(1)と(2)に分かれる。
  (イ) (3)(4)は、先生の言葉や態度によって、Kが自殺への意識を明確にしたとする説である。
  (ウ) Kの自殺は、先生の背信的な婚約を知った後に行われている。(1)〜(4)説において、この問題の解答は、三好行雄氏の次の説明で代表される。
 「自己の内面に決着をつけ、一つの決意に到着したとしても、それをそのまま実行するほどには、Kは強くはなかったと思われる。・・・この時のKにとって、問題は、一つの踏み台として己の飛躍を誘うきっかけだったのではないか」(国語二指導資料 尚学図書)
 
C   先生の死因
            
 
 
  主人公である先生の死因は、そのまま「こころ」の主題に結びついている。従って主題の見解の数だけ死因があるともいえる。また、先生は、Kという先行者の後を追ったと考えられるので、先生の死因は、Kの死因とほぼ重なっているともいえる。なお、当然Kより死の意識は明確に出ている。しかし、その死の意識と、行為としての自殺との関係の論理性は、必ずしも、明確ではなく、諸説が出されている。また、そこに読者としての興味も尽きないものがあるといえよう。                            
    先生の死因と考えられる主なものを挙げてみる。
 
[T] 間不信と自己存在の罪意識   我執(エゴイズム)は人間にとって強大な悪であることを自覚し、自らの倫理性により贖罪するため、自己処罰をしたと考えられる。
 先生は、@叔父の横領事件による人間不信 AKとの恋愛事件のよる自己不信を通して、Kの死を、我執に動かされた自分の負い目として引き受けた。自らの醜悪さを、人間存在の罪(原罪)として認識し、許すことができなかった。
 
[U] 淋しさ(孤独感)   近代化の波の中で、故郷と切り離され、しかも、都会の中で最小限に切り詰められた社会しか持たず、閉ざされた自我にのみ生きる知識人は、孤独で淋しい。自己の倫理性ゆえに、妻にさえ語れない先生は、その孤独感による淋しさに耐えられなかった。近代人の寂莫にも普遍化できよう。
 
[V] 時代精神への殉死   先生は、「私は今より一層淋しい未来の私を我慢する代わりに、淋しい今の私を我慢したいのです。自由と独立と己れとに充ちた現代に生まれた我々は、其の犠牲としてみんな此の淋しみを味わなくてはならないでしょう。」(上・十四)という。
 西洋の個人主義思想を根底とする自我意識に目覚めながらも、その自我は他我との交渉をもって向上する方法を持たず、閉ざされたままで、先生(およびK)は、理想と現実の矛盾、精神と肉体の対立などに苦しんだ。彼らは、西洋文明と日本の伝統精神とに挟撃された近代日本の知識人が、辿らねばならない宿命を背負っていたとも考えられる。先生が言う「明治の精神に殉死」(下・五十六)の意味がそこにある。しかしこの「明治の精神」の内容については、諸説がある。(→次の「明治の精神」参照)
 
D  明治の精神 
   
 
 明治の精神が、「自由と独立と己れとに充ちた現代」とどのように関わっているかで内容が異なってくる。
 
 (1)「自由と独立と己れとに充ちた現代」を良き時代として肯定する精神     (日本文学鑑賞辞典・井上百合子)など
 
 (2)「自由と独立と己れとに充ちた現代」を肯定しながらも、日本の立場を確保する精神        
  和洋折衷の時代を生きるための、固有倫理を貫く精神 (鑑賞日本現代文学・三好行雄)など    
 
 
(3)「自由と独立と己れとに充ちた現代」になる以前の、絶対倫理を実践し貫徹しようとする精神    (解釈と鑑賞・浅田隆)など
 
☆ (1)は、大正に続く精神でもあるので、天皇の死で終わるものではなく、殉死する必然性が薄くなる。
 
☆ (2)、(3)は確かに理論的に成り立つ。しかし、先生の死は、原罪意識や孤独感だけでも理解できる。それなのに、なぜ時代精神が付与されたか。それは、「虞美人草」から提起された「文明批評と我執」の二元テーマの一方が消えていく危険性が生じたため、「漱石は、明治の精神に先生を殉死させることで分裂を回避し、主題をふたたび統一」(三好説)したのであろう。                     
☆ 大岡昇平氏は、「この思想的自殺は少し無理だ。漱石はそれをよく知っていて、明治天皇の崩御と乃木将軍の殉死というきっかけを設けているが、いずれにしても、先生は、いささか無理やりに自殺させられてしまった。」
(「こころ」解説夏目漱石作品集 盾Q3・創元社)と述べている。
 
☆ Kと先生との人物造形について、桶谷秀明氏の優れた論評がある。
  「Kは、英文学という西洋に出会う以前の、東洋の伝統的な教養に生きていた時代の漱石の記憶の反映である。」(「淋しい明治時代」文芸昭和45・10月号)
  「Kと先生の惨劇は、作者漱石に即せば、ロンドン留学以前と以後の、二人の漱石の間の劇にほかならないといえよう。福沢諭吉流にいえば、ロンドン留学を境にして、漱石が『一身にして二生を経た』ように、先生はKの死後を境にしてもう一つの生を歩み続ける。」(「夏目漱石論」昭和47河出書房新社)
 
E  先生が私に託したもの
                 
  「先生」は「私」にあてた遺書に、その目的を次のように記している。しかし、具体的に何が託され、「私」が何を得たかは明らかではない。
  「私は何千万といる日本人のうちで、ただあなただけに、私の過去を物語りたいのです。あなたは真面目だからあなたは真面目に人生そのものから生きた教訓を得たいと言ったから。私は暗い人世の影を遠慮なくあなたの頭の上に投げかけて上げます。しかし恐れてはいけません。暗いものをじっと見つめて、その中からあなたの参考になるものをお掴みなさい私の暗いというのは、固より倫理的に暗いのです。
 貴方は現代の思想問題について、よく私に議論を向けた事を記憶しているでしょう。その極あなたは私の過去を絵巻物のように、あなたの前に展開してくれと迫った。私はその時心のうちで、初めて貴方を尊敬した。あなたが無遠慮に私の腹の中から、或る生きたものを捕まえようという決心を見せからです私の心臓を立ち割って、温かく流れる血潮を啜ろうとしたからです。その時私はまだ生きていた。
 死ぬのが厭であった。それで他日を約して、あなたの要求を退けてしまった。私は今自分で自分の心臓を破て、その血をあなたの顔に浴びせかけようとしているのです私の鼓動が停った時、あなたの胸に新しい命宿る事が出来るなら満足です」(下・二)
 
 「私はとうとう自殺する決心をしたのです。私に乃木さんの死んだ理由がよく解らないように、貴方にも私の自殺する訳が明らかに呑み込めないかも知れません」(下・五十六)
☆ 諸説から、先生が「私」に託そうとした、と考えられるものを挙げてみる。
 
[T]文明開化の波の中で顕著に肥大していった我執が、人間存在の罪悪に到達する、近代人の悲劇について。
 
[U]「閉ざされた自我による悲劇」という否定的媒介を通して、自我を開いてゆく生き方について。
 
[V]絶対の倫理を貫き自己処罰をする古い時代精神を、新しい時代の精神に照らして批判しつつ、継承してほしいことについて。                                       
☆ それによって語り手の「私」がどう変わったか。
  
  「私」が、先生から何を得て、どのように変わったかは、作品の中で、慎重に消されている。ここに、
書を読んだ読者が、何かを得て変化してくれることを期待する、作者の配慮があるように思われる。そして、読者もまた、顔に先生の血を浴びながら、「私」とともに変わっていくのである。
 
  
遺書を読んだ「私」が、変わったであろうと予想される表現を指摘してみる。
                                
[T]小説の冒頭で、先生の遺書(死)の数年後(恐らく二年後)に、それ以前の自分を、「若々しい書生」と述懐できるほど老成したこと。(上・一)
                
[U]先生の「あなたは今に私の宅(うち)の方へは足が向かなくなります」(上・七)という予言を、後の私が「幸いにして先生の予言は実現されずに済んだ。経験のない当時の私は、この予言の中に含まれている明白な意義さえ了解し得なかった」(上・八)と語る。ここには、経験を経て変化した現在の私の存在が暗示されている。
 
[V]先生の守秘義務を無視して、奥さんに知らせないままで(上・十二)、遺書を公表する「私」に、語らねばならない内面的必然性があったと考えられる。