第三章 「こころ」をめぐって

第二節  主題について
 
一)  小 説 全 体 の 主 題
 
(1)「自己の心を捕へんと欲する人々に、人間の心を捕へ得たる此作物を奨む」(「こころ」の広告文)
 
(2)@死というものに人間を導く過程の解明にある。(死による倫理の達成)      
 自己もいざという場合には、周囲と同じく卑劣であり、醜悪である。道義と生活とを統一することは、ついに不可能であると悟ったとき、絶望は人間を自殺に追いやる。             
   
   A時代意識、あるいは世代意識というもの。
 作者は明治を「自由と独立と己とに満ちた」よき時代と考え、それゆえ次の若い世代の真面目と純情に期待する。  (井上百合子「日本文学鑑賞辞典(こころ)」東京堂昭和36)
                                                
(3)@「こころ」において一つの理念が終わった。その理念とは、エゴと他者との関係において生ずる倫理と倫理のなかにおかれたエゴの孤独なる存在を、どのように位置づけることができるか、その可能性を問うことであろう。漱石の諸作は、その可能性を問い、それを虚構のなかで実験することで成立してきたが、それはついに、先生の自殺において終わった。
   A「私」なる人物は、ヤンガージェネレイションのシンボリックな形象であるともいえる。若い「貴方丈を信頼」し、「私の過去を物語る」ことが「明治の精神」によって培われた人間を葬ったのである。
(玉井敬之「『私の個人主義』前後・・こころから道草へ」〈文学昭和36〉)
 
(4)「こころ」で漱石は、人間がその内部に嫉妬心や利己心をもち、そのためには他人をも自己をも欺くものであり、遂に自我の醜悪と罪悪からのがれ出ることができない姿を描き出している。恋は達せられず、愛の可能性はきりひらかれることなく、罪を償うためには死しかないという<人間不信>が、死による倫理の達成という形で示されている。・・・
 漱石には、人間への信頼と不信とを同時にもつ人間内部の矛盾を掘下げ、自我に生きる近代的な人間が自我にひそむ醜悪と罪悪に打ちかって、そこから抜け出す苦悩を描こうと意図しながら、結局その暗黒に耐えられず、それから逃れることのできない不幸な人間の姿をここに深く刻みこんでゆくような描きかたで示したのである。
(小田切進「こころ・・先生」〈国文学昭和43・2月号〉学燈社)
 
(5)個人主義道徳の厳しい追求であり、エゴイズムに対する断罪である。そして、・・・「先生」の自殺が、明治の精神に殉ずるものとして描かれている。(伊沢元美「明治の精神と近代文学」〈日本文学研究史資料叢書〉有精堂昭和46)
 
(6)作者夏目漱石がきびしく追求したものは、愛の不可能性、不確定性ということであろう。愛という自我拡充の運動が、必然的に他我を傷つけ、同時に自我を傷つける、という人間存在の根源的な問題であった。
(平岡敏夫「現代国語2『こころ論』」〈教授資料〉筑摩書房昭和49)
 
(7)漱石の小説のテーマには、「こころ」が書き上げられた時期に、一つの転換があったように思われます。なぜかと言いますと、漱石は、我執と言うか、エゴイズム、あるいはそれに由来する罪の問題を一貫したテーマに掲げて「それから」以後「こころ」までの作品を書いて来た、というふうに考えられるからです。
 「それから」は、代助が友人平岡の妻三千代を愛するようになり、三千代を平岡から奪う、という結果になります。代助は自分の本然の気持ちに正直な行動を遅ればせにしたために、社会的な道義からは批判される立場になり、社会から追放されることが暗示されるところで、終わっています。
 「門」は、ご承知の通り、この我執と罪の物語の後日譚ともいうべき作品です。・・・ 罪と我執の問題の解決を宗教に求めて、そして求め得なかった人間を描いている。
 それでは次に何が来るかと言うと、今度は狂気です。「行人」という小説の主人公は長野一郎という大学教授ですが、この「行人」の一郎では、解脱どころかそのエゴ、我執が、妻のお直の貞操を疑うという形で現れている。・・・ 一郎は、「僕は神だ、僕は絶対だ」と言って、自分を絶対化する方向で我執を定着させようともがいたあげく、・・ ・狂気への道を歩んでしまう。つまり、自分を意志的に絶対化しようとしてかえって、自己を破壊してしまう人間として描かれている。
 そこで「こころ」ですが、「こころ」の先生も似たようなシチュエーションに描かれています。・・・ つまり、我執とエゴ、それに由来する罪の問題の解決を、自裁と言うか、自決と言うか、自らの命を奪うという形で、求めようとした人間を描いている。
 そうすると、「それから」が、我執の問題提起であったとすれば、宗教、狂気、自殺、これがエゴイズムに関する、漱石の、三つのケース・スタディの結論であるということになります。そしてこの三つのケース・スタディには、実は明治時代への挽歌を奏でるというもう一つの作者の心情が、重ね合わされています。
 漱石は、宗教に赴かせる、狂気に赴かせる、あるいは自殺させるという、三つの結論を出してしまって、そのあと、エゴイズムの問題のケース・スタディをさらにもう一つ試みることをやめてしまった。やめてしまってどこへ行ったかと言うと、ご承知の通り、大正四(1915)年に書かれた唯一の自伝的な小説である「道草」に彼は行ったのです。 (江藤淳「漱石・・『こころ』以後」〈近代文学館講座より〉国文学昭和51・十一月号学燈社)
 
(8)「こころ」につきましては、私自身は「閉ざされた自我」が繰り広げる世界である、というふうに見ております。・・・「こころ」を考えようとする場合、特に問題になりますのが「明治の精神」ということで、この「明治の精神」につきましては、「絶対的な倫理を実践して生きる、そういう生き方の問題」というふうに考えてみたいと思います。「絶対倫理を実践して生きる」という、その絶対倫理とは、ある意味ではこれも「閉ざされた自我」の所産というような形になってくると思います。
 この絶対倫理を生きるということ、もう少し具体的に申しますと、相対的な他との交渉のなかでの自己の倫理規範の変化を認めず、自分自身がもっている絶対倫理というものを、まっとうしようとする精神、結局倫理的なかくあるべき姿、当為を実践しようとするような生き方、こういうものではないかと思います。従って、「明治の精神」というのは、単一の実質を指すものではなくって形である、生きる形を指すものであると思います。 (浅田隆「閉ざされた自我をめぐって」〈近代文学会シンポジウム「『こころ』をめぐって」〉昭和56)
 
(9)Kの影に脅え続けた先生は、Kに対する罪と罰との因果を超えて、〈人間の罪〉という認識に到達する。先生の犯した裏切りは孤独な自己問責の果てに、いわば原罪ふうな存在悪の前にまで、かれを連れだしたのである。しかも、先生はいぜんとして、他者に鞭うたれることに代え、みづから鞭うつことを選ぶ。自分で自分を殺すこと、死んだように生きていく自己呵責を選んだのである。
 Kへの裏切りは、〈人間の罪〉にまで普遍化されながら、ふたたび、先生の肉体に回帰して、内部にひそむ原罪の感覚として閉鎖される。先生が〈自分を鞭つ〉、〈自分を殺す〉という比喩を用いているのは、きわめて象徴的である。
 このとき、「こころ」の主題は・・一体化していた先生と漱石は、といいかえてもよい・・ 孤独な原罪認識と文明批評との二極に分化してゆく可能性をはらんだはずである。語を変えていえば、文明批評の志向が消えてゆく危険が生じたのである。漱石は、〈明治の精神〉に先生を殉死させることで分裂を回避し、主題をふたたび統一した。 
(三好行雄「夏目漱石 こゝろ」鑑賞日本現代文学D 昭和59 角川書店)
                                   
(10)第一に示される主題  ・・・ 我執(自我・エゴイズム)の問題
 我執は、いざという場合には、友情を忘れ去って罪悪を犯さしめるほど人間にとって強大な悪である。「私」(先生)の我執は、Kとの相対的な関係の中に置かれて、次第に明確になり、肥大し、深刻化し、やがて「私」自身の統御できない状況になって、「私」を追い込んでしまうのである。
    
第二に示される主題  ・・・ 倫理性の問題
 元来倫理的な人間として造型されている「私」(先生)は、己の内なる我執に動かされるにつれて、強い苦悩をも感じずにはいられない。この「私」の倫理性は、Kへの負い目としてはたらき、更には自己否定の方向をたどることになる。
 倫理的であろうとして、我執に動かされないではいられない人間の姿は、まさに、
人間存在そのものの負っている罪というものを、「こころ」の世界の根底に浮かびあがらせるのである。               
(三好行雄「国語二・・こころ」指導資料 昭和62尚学図書)
 
☆ 以上から「こころ」の主題を、次のような問題提起としてまとめることができよう。
 
  @ 我執(自我・エゴイズム・)の問題。                
 A 倫理性の問題。 社会性の問題。
 
 B 人間存在(根源)・原罪の問題。自殺(自決)問題。
                                      C 時代精神・文明批評の問題。次の世代への期待の問題。
                                         
(二) 教科書採録部分の主題
 
 
一般に、「下 先生と遺書」の、第三十五章から第四十八ないし四十九章が、採録されている。    
 この部分からは、前記☆印の主題うち、@を中心に、ABを導きだすことができる。
 ただし、ABは、この後の部分をもって、はじめて明らかになるので、採録部分だけで即断することは避けねばならない。Cを導きだすことには無理であろう。
                                   
 
第三節  人物像について
 
 
  漱石文学の人物像は、類型化されている。「それから」の代助や「こころ」の先生などのように、自我によって傷つき易い近代人の典型が描かれている。 ここでは、主要な人物について述べる。
 
    (1) 先 生                                                               
 @ 新潟県の生家には相当な財産があり、鷹揚(おうよう)に、また倫理的に育てられ、子供の時から唐めいた趣味を持つ。
 
 A 二十歳にならない時分に、腸チフスにより両親を亡くす。このころから、「物を解きほどいて見たり」、「ぐるぐる廻して眺めたりする癖」があった。
 
 B 東京の高等学校在学中に、財産の管理を任せてあった叔父が、事業失敗の果てに財産を横領、娘との縁談を画策。尊敬していた叔父の欺瞞により、人間不信の観念を植え付けられ、厭世的になる。
                              
 C 残った財産を処分し、永久に故郷を捨てる。利子で生活できるだけの金が残る。
                                                 
 D 大学に入り、日清戦争で夫を失った未亡人の下宿に住み、その娘に「信仰に近い愛」を抱く。十六七の頃「世の中にある美しいものの代表」として、女の美を発見し、その「女の代表者」として娘(お嬢さん)を思う。金に対して人を疑っても、愛に対してはまだ人を疑わなかった。
                     
 E 倫理感と意地から、幼なじみで同じ大学のKを、経済的に援助し、「跪まづく事」までして強引に同じ下宿に住まわせる。
 
 F Kからお嬢さんへの恋を打ち明けられて狼狽し、Kをだし抜いて結婚を申込む。Kの自殺。大学卒業後、お嬢さんと結婚するが、Kの幻影に苦しめられる。しかし「妻の純白」を保つために、妻には告白しない。              
 G 天皇の崩御、乃木大将の死に触発され、「明治の精神に殉死」するために自殺を決意、若者の胸に「新しい命が宿る」ことを期待して、「私」に自叙伝的な遺書を書く。
                                           
☆ 以上のように、正直であり、倫理的であろうとして、かえって我執を統御できなくなり、自我によって傷つき、自己問責の末、時代意識をもって自殺する近代人として描かれている。                 
 ただし、その「自我」や「倫理性」、「自己問責の仕方」や「自殺の動機」、さらに「明治の精神」などに、多くの異なる見解があり、一面的に固定して指導することは避けねばならない。
 
 
    (2)  K
 
 @ 先生と同郷で、真宗の坊さんの次男。父は「義理堅い点に於いて、むしろ武士に似た所」がある。母は、早くに死に、継母に育てられる。独立心が強く、剛情な性格。
 
 A 中学の時、医者の家の養子となり、学資を貰って東京に出たが、哲学や宗教に関心を持ち、家の希望を無視して医者を嫌い、先生と同じ科に入る。養家の怒りをかい、実家に復籍。実家からも勘当され、自活し、道への厳しい精進を志すが、肉体的にも精神的にも衰弱していく。            
 
 B 先生の下宿に入り、心が落ち着き、やがて精進の道からは許されない恋心を、お嬢さんに抱いてしまう。
 
 C 自分の苦脳を先生に打ち明け、「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」と言われる。
 
 D 先生とお嬢さんとの婚約を知り、その二日余りの後、自殺した。
 
☆ Kは、先生の遺書にだけ登場するので、先生の意識を通してのみ存在していることになる。この点から「Kと先生との人間関係」「Kの自殺の原因」などに異なる見解が出てくる。
 
    (3) 私
 
 @ 山と田地を持つ家の次男。古い藁屋根の大きな家に父母がいる。兄と妹がいる。兄は、大学を出て遠い九州で仕事をしている。妹は、他県に嫁いでいる。
 
 A 東京に出て学問をする。書生時代、鎌倉の海水浴場で先生に出会う。どうしても近づかなければならない気持ちから、先生の家をしばしば訪問し、先生の謎めいた言葉や生き方に関心を持つ。
 
 B 先生と奥さん(静)との苦悩の原因に心が動く。          
 
 C 大学を卒業するが、職業に就くという意識はない。父母に促されて、しかたなく職を捜す気になる。
 
 D 父が腎臓病で危篤の時、先生からの遺書が届き、父や家族や親戚の人達を置いて、東京行きの汽車に飛び乗る。
 
 E 先生の死の数年後、この思い出を語る。
 
☆ 「私」は、小説の語り手である。しかし、不明なことが多い。その意味では小説的人物であるとも言える 
 
  「先生の死後どのように変わったか」 
   @数年(約2年)の間に、以前の自分を「若々しいかった」と述懐出来るほど老成したこと。 
   A先生の守秘の願いを無視して、奥さんの生存中に遺書を公表したこと。
 
  「家族や故郷との関係はどうなったか」 
 危篤の父を捨てて出た以上、その後に軋轢があったに違いない。これは、構成上の不整合の問題でもある。
    ( 第三章第一節(2)「こころ」の構図「書かれなかった短編」参照)