縮景園とヴェルサイユ
 
 
  
  広島の街に縮景園(しゅっけいえん)」と呼ぶ日本庭園がある。原爆はこの庭をも破壊したが、市民は自らの街とともにこれを復旧した。黒こげの樹木にやがて郁々と緑が甦り、泥土に埋もれていた池には躍々と錦鱗が群れるようになった。私は幼い頃からこの庭に親しんできた。池の汀で思索に耽った学生時代が懐かしい。
  
  この庭は江戸初期のいわゆる大名庭園。広島藩主浅野長晟(ながあきら)が、1620年に造ったと伝える。当時の諸大名は、自分の城下にこぞって大庭園を造営した。新しい統治者の力を領民に誇示しようとしたのかもしれない。そのほとんどは池を掘って西湖を模し、山を構えて廬山に似せた。もちろん縮景園も例外ではなく、西湖になぞらえて造られたとされている。
  
  しかし、この庭は、私にはどう見ても異国の景色には思えない。どこまでも日本の風景である。この庭を実際に手がけた人が誰なのか、私は不勉強にして知らない。上田宗固とも聞いたことがある。ともかくきっと京か江戸の名のある造園家であったに違いない。彼はおそらく、藩主の命をうけ、庭造りの作法書にならって、中国の西湖を掘ったことであろう。ところが、できあがった庭は、身近な自然であったのだ。歩むにつれて、今は山なか、今は浜と、めまぐるしく変わる日本のそれであった。山も海も、曇るほどにより美しくなる、湿った日本の風土そのものなのである。それも、どこか特定の場所ではなく、風土を象徴して普遍性があるのである。
  
  市立図書館での「おくの細道」読書会で、松島・象潟の場面を読みつつ、ふとこの庭が目に浮かんだ。池亭前の緑こまやかな島々は、笑ふがごとき松島、寂しさに悲しみを加える土橋の景は、象潟のおもかげ。芭蕉と旅し、西行と語ることを許す自由さが、この庭にはあると思う。
  
  昨年、ヴェルサイユ宮殿を見た。太陽王ルイ十四世が王権の象徴として築いたもので、造園家はル・ノートル。彼は宮殿を基点に大地を二分し、さらに左右対称に八つずつに分割。各々の庭園は、人間の力を示すべく、すべて幾何学的設計である。円形の池に放射状の園路。灌木までも円錐形に刈り込まれている。自然をも支配する勢いである。生垣で囲まれた北の歌壇には、ゼラニウムの花が、大陸の乾いた大気を鮮血のように染めていた。統一と調和。これがヴェルサイユに課せられた目標であった。しかし、造園家の心は必ずしもそれだけでは満足しない。庭園の各々は森で囲まれて独立してる。個性をもって息吹いている。あるものは遙々と古代をさすらい、あるものは悶々と近代の悩みを訴える。一つの庭から他の庭へと歩むと、新しいロマンの世界が次々と開けるのである。単なる権威の誇示を乗り越え、心の自由を獲得している。
 
  縮景園の造園家も、ル・ノートルも、ともに十七世紀の権力者の下で庭を造った。けれども、彼らの心は自由に自然を旅し、ロマンの世界に遊んでいるのである。これこそ芸術的精神と呼ぶにふさわしいのではないか。そのような自由さのゆえに、私たちははじめて、普遍的な美をその作品に見い出し得るのだと思う。
       
               (1980年7月市立中央図書館「図書館だより」掲載)