「すばる」考
  
   
    瀬戸の小島で釣り糸を垂らす。垂らしながら夜空を見上げると満天の星。街では見ることのできない星達が見えてくる。その一つに「すばる」がある。谷村新治の歌うあの「昴(すばる)」である。  厳冬の夜空で最も目立つのは、明るい星に囲まれた三つ星のオリオン座。それに襲いかかる赤い目アルデバランのおうし座。ゼウスが、美しい王女エウロぺをさらうために変身した、白い牛の姿だという。その牛の肩のあたりに、うずくまるように一つに集う星達。それが、「すばる」である。蛍が数匹、密やかに川面に寄り添っているようにも見える。この愛らしい星の群れはプレアデス星団と呼び、生まれたばかりの散開星団だと聞く。 
 
     「すばる」とは、もともと「統る(すばる・すまる)」と書き、「集まって一つになる」という意味の純粋な和語である。肉眼ではやっと六つ見えるので、六連星(むつらぼし)とも言う。枕草子に「星は、すばる、牽星(ひこぼし)、明星、夕づつ(宵の明星)、よばひ星(流れ星)」云々とある。これが文学に見える「すばる」の最初である。それ以後は、近代になるまで、なぜかこの星を取上げた作品はない。 
    
   瀬戸の小島で釣り糸を垂らす。垂らしながら、振り返ると、漁村の家々の灯が蛍の群れのように小さく集まっている。都会の喧騒から離れて、肩を寄せ合いながらの生活がある。華やかさの中では、とかく見失いがちな温かい心の触れ合い。寒さを忘れて見とれているうちに、この温かさこそが「すばる」ではないかと思えてくる。  
  
   清少納言は、なぜ、この目立たない冬の星屑に興味を抱き、最初に挙げたのか。中国で、二八宿の一つ、王者の星「昴(ぼう)」として尊重されたからか。それではあまりに面白くない。もしかしたら愛情に恵まれなかった彼女が宮廷生活の華やかさの中で、見栄と権謀の冷たさを見抜き小さくとも心の温もりを求めていたのではないか。そう考えると、私達の学校もまた「すばる」に思える。都会の街の一隅で、友と心を通わせながら、肩を寄せ合って学ぶ小さな社会。そこには見栄や権謀とは無縁の、心の温もりがある。
  
   3年生は今、将来への期待と不安とを抱き、決意を秘めて、「青白き頬のままで」旅立とうとしている。彼らがやがて、頬を赤く染めて、「こんにちは、すばるよ」と訪ねて来る日を楽しみに、温かい母校作りに努めたい。そんなことを考えているうちに、東の空が赤く染まり始めた。
         
                          (1992年3月1日「基町高校校PTAだより」掲載)