老生の閑話 |
担任のこと
私は、いよいよ定年を迎える。この三十七年間の教員生活を夢中で駆け抜けた思いがする。振り返ると、二十六回もクラス担任をし、十回の卒業生を送り出していた。二四歳から三九歳までの十六年間は、連続して担任をしている。
クラス担任を避けたがる教員もいるが、担任ほど教員冥利に尽きるものはない。もちろん生徒指導には苦労するが、全人格をもって生徒と真剣に向き合えるのは、担任だけである。その強みがあるから、時には、全教員相手に論駁したり、校長や教委を動かすことも可能となる。
結果は後悔の連続であるが、全力投球したことに悔いは残らない。
後日成長した教え子と語る楽しさは、担任をした者でなければ味わえない。
教材研究のこと 私は、学生時代に梅棹忠夫氏の「知的生産の技術」を読み、パンチカードが最も進んだノート法であることに興味を持った。就職して二年目の一九六二年に、丸善から一式を揃えて購入した。この便利なカード法は百年は続くでしょうと店員は話した。
私は、教材研究にはすべてパンチカードを採用した。カードが増えていくことが楽しく、猛烈に教材研究をした。以後三十年間で三千枚を越えた。生徒も二重穴の黄色いカードに興味を示す。バーベキューのように串刺しにし、必要なカードを振るい落として見せると大いに驚き、私は大いに得意になっていた。
ところが、十年前からパソコンが普及し、遂にカードが発売中止になってしまった。無情にも、誇っていた私のパンチカードはもう過去のものとなってしまったのだ。
仕方なくパソコンに切り替え、若い先生方の役に立つ資料にしようと、機器の扱い方を教わりながらカードを細々とフロッピーに打ち込んでいる。
印刷術変遷のこと パソコン同様、印刷機の発達も劇的である。昔の国語教員は、毎日毎晩ガリ切りに専念していた。鉄筆の種類を揃え、やすり板も直線用・斜線用や絵模様のものまで揃えた。
印刷も一枚一枚ローラーを手で押していた。電動の回転式印刷機が出来て便利になったものだと感動したものである。ボールペン原紙なるものが登場し、鉄筆とやすり板が不要になったが、あまりきれいな印刷が出来ず、不評であった。
ところが、焼き付けのできる印刷機の登場は、学校に革命を起こした。そして、コピー機の進歩が一気にプリント作りを容易にした。教員は、特に国語教員は連夜のガリ切りから解放されたのである。
しかし、考えてみると、ガリを切っていた頃は枚数に制限があるため、教材を精選し、表現も短くわかり易く工夫していた。ところが、今は問題集や教授資料などを容易にコピーし、大量のプリントを印刷して生徒に与えることが出来る。ブロイラーのごとく飲み込まされる生徒たちは、当然未消化のまま吐き出し、勉強ぎらいや活字ぎらいを起こす。
今、国語教員は、教材研究における精選能力を問われていることを悟らねばなるまい。
公開講座のこと 私の勤務校では、3年前から公開講座をはじめた。国語科も参加し、毎年秋の夜に、地域の人たちに参加してもらい、学校で講座を開いている。
私も昨年から加わり、「万葉の悲劇」と称して、万葉集の面白さを生徒に話すがごとく気安く語っている。
とかく閉鎖的に思われがちな高校を、実際に見てもらい理解していただくこと、また、社会の多方面の豊かな経験をお聴きすることは、互いに良いことだと思う。参加した先生方は、教えることよりも教えられることの方が多いと言う。広い視野に立つグローバルな教員が求められていることを、改めて知らされるのである。
新制高校の息吹きのこと 私の勤務校は来年春に創立五十周年を迎える。私は、その記念誌の編集に携わっている縁で、五十年前の草創期の雰囲気をひもとく機会を得て、深く感慨に耽っている。
一九四七年三月三一日GHQの指令で、日本に「六・三・三」制が敷かれた。それに伴い、広島市には十二の公立の新制高校が生まれた。ところが、翌年十月に再び指令が出て、学区制・総合制・男女共学の高校三原則のもとに新制高校の再編成が行われた。広島市では、五つの公立高校にまとめられ、一九四九年五月九日に一斉にスタートした。
その日まで面識の無かった教員や生徒が、いきなり一同に会して学校を始める。施設もなければ、カリキュラムもない。言語に絶するような苦労があったに違いない。
しかし、全員に共通の認識があった。戦前の旧体制を解体し、新しい民主主義の学校を創設するのだという認識である。その認識が自負となって強い推進力を生み出していた。当時の教員や生徒のどの資料からも、怖いほどの迫力が読み取れる。
今の私たちの姿は、軌道の上を疑いもなく粛々と進んでいる感を免れない。新制高校草創期の原点に立ち返って、高校とは何かを問い直し、高校教育に初々しい意欲をもう一度取り戻したいものである。
老いの繰り言になってしまったので、このあたりで休題とする。
(1998年10月「広島県教育研究会国語部会報」掲載) |