万葉の悲劇 その二 旅 |
人生は旅。人は人生がそうであるように、旅に、複雑で矛盾に満ちた体験をする。 私達は日常、感情と思考、精神と肉体、 興奮と倦怠など、二元的に生きている。しかし旅は、立つも残るも、その日常を断ち切らねばならない。別離・不安・断絶を経て、新たな邂逅・期待・飛翔の座標に移る。そして、その旅立ちは、必ず孤独を伴い、望郷の霧に包まれる。 一つは役人が任地に赴く旅。二つは出征兵士(防人)の旅。三つは流罪の旅である。
君が行く 海辺の宿に 霧立たば 愛する人を送る女の嘆きである。男は答える。
秋さらば 相見むものを 何しかも 唐と違い、半島の新羅は近い。秋には帰国出来る予定だった。時の朝廷は、対立する新羅との関係の修復に大使・阿倍継麻呂以下四十数名の使節団を派遣した。しかし、歓迎されないであろうことは、既にわかっていた。男は避け得ない勅命に、不安と未練とに彩られつつ、一行に加わり旅立ったのである。 女は祈るしかなかった。「行くのをやめて」とは言えない。
安芸の国風早(かざはや)の浦に停泊した時、珍しく沖に夜霧が立った。 女の激しい嘆きが霧を呼んだに違いない。望郷が男を襲う。さらに霧は旅の不吉を予感させる。やがて恐れていたことが次々と現実になった。 一行が平城(なら)の都に帰れたのは、翌年の晩春である。九か月余の悲しい旅であった。そしてこの年の夏、日常に埋没していた都の中を、天然痘の猛威が吹抜けていくのである。 (一九八八年二月二二日「桐一葉」第四号より |
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