万葉集巻第十五 (目録) 中臣朝臣宅守(なかとみのあそみやかもり)の、蔵部女嬬狭野弟上娘子(くらべにょじゅさののおとがみのをとめ)を娶(まき)し時に、勅(ちょく)して流罪に断じて、越前の国に配(なが)しき。ここし夫婦の別れ易く会い難きを相嘆き、各々慟(いた)む情(こころ)を陳(の)べて贈答する歌 六十三首 @ 別れに臨みて娘子(をとめ)の悲しみ嘆きて作る歌 4首 A 中臣朝臣宅守の上道(みちたち)して作る歌 4首 B 配所に至りて中臣朝臣宅守の作る歌 14首 C 娘子の京(みやこ)に留まりて悲しみ傷(いた)みて作る歌 9首 D 中臣朝臣宅守の作る歌 13首 E 娘子の作る歌 8首 F 中臣朝臣宅守の更(さら)に贈る歌 2首 G 娘子の和(こた)へ贈る歌 2首 H 中臣朝臣宅守の花鳥に寄せて思ひを陳べて作る歌 7首 【 贈答の歌の例 】 @ 3723(「国歌大観」の番号:以下同じ) あしひきの 山路越えてむと する君を 心に持ちて 安けくもなし (山路を越え遠い国においでになろうとするあなたを、胸の底深く抱いて、不安な気持ちでいっぱいです。) 3724 ☆君が行く 道のながてを 繰り畳ね 焼きほろぼさむ 天の火もがも 3725 わが背子し けだし罷(まか)らば 白栲(しろたへ)の 袖を振らさね 見つつ偲(しの)ばむ (わたしの愛する夫よ、もし都をお出になるなら、白い着物の袖を振ってください。それを見ながらお慕いいたしましょう。) A 3729 うるはしと 吾が思ふ妹を 思ひつつ 行けばかもとな 行きあしかるらむ (いとしいと思う妻を慕いながら行くので、こうも行きにくいのであろうか。) B 3733 吾妹子(わぎもこ)が 形見の衣 なかりせば 何物(なにもの)もてか 命継(つ)がまし (私の愛する妻の形見の着物がなかったならば、何によって命をつなぐことができようか。) C 3751 白栲(しろたへ)の 吾が下衣(したごろも)失はず 持てれ わが背子 直(ただ)に逢ふ(あ)までに (形見に差し上げたわたしの白い下着をなくさないで持っていてくださいね。わたしの愛するあなた。じかにお会いするまで。) 3752 逢はむ日の 形見にせよと 手弱女の 思ひ乱れて 縫へる衣ぞ (再び会う日までの形見になさいと、たおやかな女の私が、嘆きに 心乱れて縫った着物ですよ。 D 3765 まそ鏡 かけて偲(しの)へと まつり出す 形見の物を 人に示すな (心にかけて私をしのんでほしいと、差し上げるこの形見の品を人には見せないでください。) 3766 うるはしと 思(おも)ひし思(も)はば 下紐(したひも) に 結ひつけ持ちて 止(や)まず偲はせ (私をいとしいと本当に思うならば、これを着物の下紐に結びつけて、絶えず私をしのんでください。) E 3770 あぢま野に 宿(やど)れる君が 帰り来む 時の迎へを 何時(いつ)とか待たむ (味真野に宿っているあなたの、お帰りの時のお出迎えを、いつの ことと思って待ったらよいのでしょうか。) F 3772 ☆帰りける 人来れりと いひしかば ほとほと死にき 君かと思ひて G 3777 ☆昨日今日(きのふけふ)君に逢はずて するすべの たどきを知らに 哭(ね)のみしぞ泣く 注:☆印は、「万葉の悲劇」本文に引用した歌です。 |