敏馬の浦無惨
         
 
  蘭の美に魅せられた者は、春になると蝶や蜂のように、各地の展覧会の花々を求めて旅をします。今年も私は、大阪、神戸、岡山、さらにはシンガポールにまで足を伸ばしました。
 特に「神戸蘭展 97」は、大震災後の神戸の復興をかけた思いが込められていて、意義深いものがありました。見事な復興を示すかのような大規模な展示で、会場のポートアイランドの大展示場も人の頭越しに花を見るような盛況でした。ポートアイランドをはじめ中心街や高速道路の復興は見事に進み、以前より美しく合理的な都市になっていました。
  かし、神戸市周辺の史跡を訪ね歩くうちに、民家の壁や石垣などは崩れたままで、痛々しい傷が諸処に残っていることがわかりました。住宅も不足し、仮設住宅に暮らすお年寄りの人たちもまだ大勢います。
 灘区の西求女塚(にしもとめづか)古墳を訪れた時、近くの敏馬(みぬめ)神社に自然と足が向きました。万葉の人々に歌われた「敏馬の浦」の名を残す神社です。実は30年前、傷ついた心で彷徨った思い出の地です。静寂の中、夕暮れの神戸港を左に遠く見ながら石の大鳥居をくぐると、両脇に4基の常夜燈が立ち、樹木に覆われた薄暗い石段を登ると、大きな拝殿やその奥の本殿、それを囲む境内社などが上からかぶさるように建っていました。しばらく圧倒されるままに座っていると、遠く汽笛の音が聞こえ、やがて、柿本人麻呂の「玉藻苅る 敏馬を過ぎて 夏草の 野島が崎に 庵するかも」や、田辺福麻呂の「まそ鏡 敏馬の浦は 百舟の 過ぎて行くべき 浜ならなくに」などの歌が蘇って来ました。己の幼さに気づき、いつか心も癒えて、暗い夜道を常夜燈に灯は点っていなくても、明るく導かれる思いで港に歩いて帰りました。
   、神社の周りは一変し、前に高速道路が走り、その向こうは巨大な摩耶埠頭になり、東には六甲の広い埋め立てがあります。周囲は新しいビルに埋め尽くされています。騒音も甚しい。そして、それ以上に驚いたのは、神社の崩壊した姿でした。大鳥居がばらばらに壊れ、あの常夜燈もすべて崩壊したままになっていました。かつて私が圧倒されたすべての建物が倒壊したとのことです。奉賛会の人たちの努力と行政の少しばかりの援助により、本殿と拝殿のみ今年やっと修復しました。すべてを復元するには、2億円はかかるとの由、改めて大震災の恐怖を覚えました。
 かさと便利さで建設され、いち早く復旧した港や高層ビルや高速道路。古より人人の心の拠り所だった神社の、喧騒の中の無惨な姿。そして仮設住宅に暮らす人々。割り切れない思いを抱き、震災はまだ終わっていないことを知った蘭の旅でした。

                     (1997年8月 「チャーリングのひろば」掲載 川野正博 )