カトレヤの歴史@
カトレヤ発見の物語 |
C.labiata var.concolor × sib. 2003.10.1撮影 |
はじめに
わたしたちの名は、「ラビアタ」。くちびるが大きく美しいっていう意味よ。
わたしたちの祖先がイギリスで初めて花を開いたのは、今から180年前の秋のこと。それまで西洋では誰も見たことのない花だったので、大変な騒ぎになったそうよ。これが、カトレヤ栽培の最初でもあるの。だから、わたしたちはカトレヤの本家というか宗家というか、まあ「元祖」に当たるわけよ。 「カトレヤ」と言えば「ラビアタ」、「ラビアタ」と言えば「カトレヤ」。 今やカトレヤ属の代表種ね。でも、偶然に発見され、開花した時はとても劇的だったけれど、その後の運命もまた劇的だったのよ。 カトレヤの発見
1818年、イギリスの自然科学者ウィリアム・スウェィンソンWilliam Swainson氏がブラジル東海岸の帯状山脈の山でコケや地衣類の植物標本を採集し、荷造り用パッキイング材として、丈夫で厚い一枚葉の植物によって周囲を囲みました。送られた先は、イギリスのキュー植物園Kew
GardensのフーカーHooker園長でした。このパッキング材の珍しい厚い葉の植物に眼を止めた園長は、園芸家ウィリアム・カトレイWiliam Cattley氏に預け、温室で育てられることになったのです。
3年後の1821年の秋に見事開花し、誰も見たことのないすばらしい花なので、これを見た当時の著名な植物学者ジョン・リンドレーJohn Lindley氏が、リップの大きいことから「labiata」と名付け、さらに新しい属であることから、カトレイ氏の功績を記念して、「Cattleya属」として発表しました。さらに秋咲きなので、autumnalis
を後に付けました。
[Cattleya labiata autumnalis] これがカトレヤ第一号になったのです。
60年間の沈黙
こうして栄光を担った[ラビアタlabiata]ですが、その後どうしたわけか、行方がわからなくなりました。その間に、美しい蘭を求めて、多くの命知らずのラン・ハンターたちが南アメリカに渡り、 1838年にモッシエ
C. moossiaega 、1848年にギガス C. gigas、1856年にトリアネー
C. trianae などを次々と発見し、カトレヤ属はにぎやかになっていきました。しかし、肝心のlabiataは幻のままでした。
ラビアタ発見から60数年後、ブラジルで植物採集をしていたエリク・ブンゲロース氏が、ついにペルナンブコPERNAMBUCO州のlabiataの自生地を発見し、「ワーロクエナ」(C. warocqueana) と名付けてヨーロッパに出荷しました。当人はまだあのlabiataとは気づかなかったのでしょう。このヨーロッパに送られた株を見たイギリスのサンダースSanders氏がlabiataであることを見抜き、再び世に出ることになったのです。1889年のことでした。
ラビアタの自生地 ラビアタはブラジルの東部海岸線に平行している帯状山脈の標高500から1000mの地帯に自生しています。大西洋からの貿易風を受ける多雨地帯で、年間降雨量は1500oで、熱帯雨林を形成していたようですが、現在ではかなり開発されているようです。 現在、ラビアタの自生地として確認されているのは、山脈北部のセアラCEARA・パライバPARAIBA・ペルナンブコPERNAMBUCO・アラゴアスALAGOASの各州です、 しかし、1818年 スウェィンソン Swainson氏が採集した標本はリオ・デ・ジャネイロ近郊のオーガン山だということですから、当時は1400kmも南まで自生していたのではないでしょうか。 |